三輪素麺

中元の届け届きて声若し

容貌は変わっても声は変わらないようだ。

だから、なまじテレビ電話などは使わないほうがいい。
声を聞くだけで一気に若かりし頃にワープし、他愛のない話にいつまでも尽きない。
人と人の結びつきみたいなものは儚げでいて、気心を許し合うというか、肝胆相照らすという仲のあいだは特別なものである。
とりとめもない話はいくらでも続けられるし、きっとこの時は特別なホルモンがいっぱい分泌されて心をリラックスしてくれているのではなかろうか。
地場の産物を中元とお歳暮というかたちで贈り贈られてもう何年になるだろう。
当地へ越してからは中元は三輪素麺が定番となった。

過疎化

中元の礼者見馴れぬ背広着て

半農半杣というのだろうか。

日焼けしていかにも農夫、樵夫という風袋の男が、今日は珍しく背広を着て集落を巡っている。山の集落ではこうした盆暮れの挨拶は欠かせないものだが、一張羅の背広というのはすぐに分かるし、決まってノータイというのもこうした山村では礼を失したことにはならない。
父母の田舎もすっかり過疎の集落と化して、今ではこうした盆礼者の姿だってもう見られないかもしれない。

人間を養うということ

中元を届けし先は鬼籍入る

かつて若い頃生き方や考え方を養ううえで多くの人生の師と仰ぐ人に恵まれてきた。
先生方は文学や美術の世界で名を成しすでに老境に達していた方ばかりだったが、少しも偉ぶるところがなく、若輩の私を人間として対等に扱っていただいたことに感謝するのみである。
先生方は社会人としても教養人としてもすばらしい方々だったので、問わず語りのお話にも示唆に富むことが多く、感化されることが大であった。
盆暮れには直接お宅に伺うことを楽しみとしていたが、ひとり、二人とお亡くなりになり、今ではそういうこともなくなって10年あまりが経とうとしている。