蹴鞠広場

槻の里八つ手の鞠の咲きにけり

槻の木の広場の蹴鞠?
飛鳥寺西方遺跡の現地説明会に行ってきた。

奥(東方向)に見えるのが飛鳥寺。百米くらいの距離か。
飛鳥寺西方遺跡の現場。奥(東方向)に見えるのが入鹿の首塚をはさんで飛鳥寺。百米くらいの距離か。

折しも寒波到来でピリッと空気がしまり吹く風も冷たい。そんなときテントの中の一杯150円の生姜湯がありがたい。

現地説明会場のテントで

生姜湯で掌温め指温め

ところで、この飛鳥寺西方というのは大きな槻、つまり欅がある広場があったとされ、日本書紀で何回も記述がある。
主なものでは、
1)乙巳の変の前、中大兄皇子と鎌足が出会った場所(例の蹴鞠)
2)斉明天皇三年(657)須弥山の像を飛鳥寺の西に作る
3)壬申の乱(672)の折、留守部隊がここに兵営した
4)天武・持統期 種子島の人々、隼人、蝦夷らをここで楽を奏して饗応したり、相撲を見物した
などがあり、この発掘の目的は「大槻の広場跡を確かめる」ことだそうだが、今までの調査ではまだ確証が得られておらず、次回は今回発見した柱跡の延長部分、隣接した北の部分を発掘して建物遺構の有無を調査する予定とのこと。