堆肥作り

そこそこで済ます挨拶冬めける
三々五々ボランティア来る落葉掻

今日は風がないものの、重そうな雲が垂れ込めていよいよ冬めいてきたように思う。

行き交う人も挨拶もそこそこに足早に去って行く。
いつもの散歩コースは週末に町民マラソン大会のコースとなっていて、有志のかたがたが落ち葉を掃くのに忙しい。
掃いても掃いても風で飛ばされるんだよとぼやいておられたので、車に積んであった大きな袋にいっぱいいただくことにした。もちろん、落ち葉の堆肥作りのためである。櫟、楢、紅葉の落ち葉だから最高級のものができるはずである。
天気をみて庭に穴掘り牛糞などをまぶして土をかぶせておけば、再来年にはもう土と見分けがつかなくなるはずだ。

顔を出す

はやばやと参道灯り冬めける
襟立てて過ぎゆく影の冬めける
冬めくや戸から顔出てお見送り
集積所に庭屑積んで冬めける

すっかり冬模様である。

見るもの、触れるもの、感じるものから冬が感じられる。
週末の庭仕事で出た、枯葉、剪定の屑などが月曜朝のゴミ収集所にあったり、いつもなら門まで出て朝の見送りをするお母さんがドアから顔出してバイバイするなど、ちょっとしたところにも冬が顔を出す。

送迎バス停の気配

冬めくやママにすがりてバスを待つ

ママの手にすがって幼稚園バスを待つ。

隣の空き地前が幼稚園バスの停留所。8時前になると賑やかな声でそれと分かるのだが、最近はそれと分からない日がある。
いつもなら子供どうしいつも活発に遊んでいるのに、最近は言葉少なにじっとしていることが増えた。
お迎えの先生の挨拶も、どこかこの季節らしきもの。
吐く息が白くなるにはまだ早いが、子供たちの動きをみているだけで季節の変化が感じ取れるのだ。