懐かしのワンカップ

たしなまぬ筈がどうした冷し酒
営業の作り笑ひの冷し酒
祝宴に知己みあたらず冷し酒
冷酒を手に同輩探す鵜の目かな
冷酒の氷鳴らして干しにけり

兼題句である。

もともとの意は「ひや」、「ひやざけ」である。
日本酒本来は燗で飲むものとされたが、昨今は「れいしゅ」と呼んで氷や冷藏庫で冷やして飲むことも多い。冷蔵して飲むために開発された酒もあるので人気のようだ
「ひや」とは元来燗をしないで飲むものをいい、かつては悪酔いしやすいと言われたものだが、それを気にしない手合いのものがやるものであった。そんなひとのために開発されたワンカップなるものが一時はやり、通勤線で席に着くやふたをあける光景など、かつてはよく見られた光景である。

酒はいけるくちではないが、辛口の「れいしゅ」は好きだ。口当たりが良くてほどほどに自制しなくてはならないが、土地の旨いものと併せて飲めば時間はすぐに更けゆく。

一本気

冷酒の興の極みの溺死かな

先日「運河」同人の方と知り合う機会があった。

和歌山県新宮市に住んでいるという「運河」編集長の話から発展して、父母の田舎が熊野の山奥であり、私も昔ほんの一時期熊野にいたことや、新宮出身の中上健次のファンであることなどいろいろ話しているうちに、熊野への思いがふたたび強くなってきている。
因みに、「運河」主宰の茨木和生氏もまた熊野に深く関わっておられるうえ、氏の土着性の強い作品にもすごく惹かれるところがあって、「運河」は今の会の会員になるまえに、候補のひとつであった俳句会でもある。

さて、そうしているうちにその運河同人のS女から、編集長の著作や熊野地方史研究会刊行の「熊野誌 中上健次没後二十年記念特集号」をお借りすることができ、ますます熊野への追憶の情が深まるのであるが、この熊野について言えば春夏秋冬さまざまな思い出がある。
夏で言えば、前の七里御浜で手作りの道具で夜釣りしたこと、また波が高く急深でとても泳げるような海ではないことなどが浮かぶが、やはり一番の衝撃的なというか、ショッキングなこととして浜に引き上げられた溺死体をこの目で見たことである。
死体を見るのも無論初めてであるうえに、戸板に乗せられたこの溺死体が真っ青な色をしていて全身が腫れぼったく膨らんでいるのに目が釘付けになった。いわゆる土左衛門である。聞けば、道路開発を兼ねた堤防工事であったろうか海岸沿いに飯場があり、その作業員が暑い一日の仕事を終えて酒を飲み、そのまま遊泳禁止の海に飛び込んだのが命取りになったんだと言う。

今思えば、これも後先をよく考えないで直情のままに行動するという、よくある熊野の一本気の気性がたたったのではないだろうかと思えてくる。
とにかく中上文学に描かれる熊野人は血が「熱く」、気が「濃い」のである。そしてまたそれは小説の中だけではないのである。