新戦前

初刷の紙面に慶事なかりけり

今年の元日の紙面はさえない。

この一年、あるいは近未来を切り開いていこうという意欲すらも感じられない平板な記事の羅列になっている。
まさに戦前を思わせる世相を反映していると言っていいが、別の観点すれば新聞の身から出た錆びでもあるまいか。批判を忘れたマスコミ、なかんずく大新聞の政権寄りの姿勢は読者の新聞離れを加速させているように思えてならない。
ちょうど地上波テレビが大手広告代理店、大手プロダクションに編成権すら明け渡し、しかも内容も出演者もマンネリ化してNetflixなど新興勢力のコンテンツに駆逐されようとなっている状況と符合するようである。
テレビも全国紙も新しい機能を生むではなく、古い視聴者や読者相手にマンネリに陥っている、いわゆる「オワコン」なのである。
NHKもさすが潤沢な資金があるのでドキュメント番組には見るべきものはあるが、それ以外の報道系は政権の広告塔と化し、娯楽系の民放に合わせるような低俗化は目も当てられないさまである。
新年早々から暗い話で恐縮だが、「新戦前」にはしてはならない年である。
*新戦前 徹子の部屋で来年はどんな年になるかと問われてタモリが言い当てた新語である。

大阪から腐る

初刷の紙媒体の意気盛ん

元日号で気づいたのだが、新聞もずいぶん変わったものだ。

かつては本紙が分厚いだけでなく特集版も10ページ以上あったように思うのだが、M紙にはまるで元日らしき雰囲気がない。正月特集もなく平常の内容とどこも変わらないものだった。
最近、テレビもそうだが大手新聞にもことなかれの記事が多くつまらないメディアとなっているように感じてならない。新聞離れは以前から言われていたことだが、最近のテレビの退潮もいちじるしい。
とくに関西に住んでいると、テレビは吉本芸人に乗っ取られて知性のかけらもないし、コロナの死亡率日本一の府の知事などがタレント扱いで毎日のようにどこかの局に顔を出している。
これだけメディアあげて維新政治をもちあげては、テレビしかみないおばさん、おじさんは「知事はようやってる」となる。
IR会場の廃棄物処理など整備に何百億も公費をかけると言っても、マスコミはだれも取り上げないし、万博にも沈默したままである。
読売と維新が協定を結ぶに至っては戦前の大政翼賛会を想起させるなどマスコミの完全なる自死である。
日本は大阪から腐る。そんな気がしてならない。