神よ仏よ

初詣うとし信心うすければ

ジンクスというものがある。

というのは、まれにしか行かない初詣の年にかぎって何か災難がおきるのだ。
伊勢神宮に参った年、近所の神社に参った年。それらの一年は少しもいい年ではなかった。
その最たるものが母親が亡くなった11年前である。したがってその後は新年の吟行で神社仏閣を訪れても初詣と思わぬよう、意識して淡々と歩くのみである。
神仏に見放されてもそれなりに静かな暮らしができている。怖れることはない。

初句会

ハングルも英語の絵馬も初詣

絵馬を手にとって願意を読んでみた。

今日は近鉄奈良駅から東大寺二月堂、春日大社を巡る吟行初句会。誰々さんのお嫁さんになりたいという真剣(?)な願いもあれば、ガンが治癒しますようにとの切実な願いも。人さまざまな願いを込めたそれぞれの正月なのであろう。
なかには、ハングル語で書かれたものや英語のものも。

ともあれ、松の内は平穏に過ぎてゆく。

吉凶占い

初詣おみくじ結ぶ背伸びかな
背伸びして結ぶお神籤初詣
枝といふ枝に御籤の初詣

僕はおみくじの類いは買わない主義である。

ただ、おみくじを引いては吉だ凶だとはしゃいでいる人たちを見るのは悪くない。誰もがおみくじの中身を真剣に信じている人などいないだろうし、一種の遊びだと思うからである。
また、いろいろなご縁を願って境内の枝などに結んだりしているのも、合格や良縁を願ったりなどする人たちの気持ちが滲み出ていかにも正月風景らしくていい。

朝護孫子寺本堂でお詣りを済ませた人々が境内の木におみくじを結んでいる。そのうち一人だけ、小柄な老女が一生懸命椿の枝に結ぼうとして背伸びしているのが目に付いた。老女が届く範囲の枝にはすでにおみくじがびっしり結ばれているからだ。