慈雨のち虹

喜雨ならん農の生計にあらねども

昨日のような雨を「喜雨」というのだろう。

晩秋から春先にかけて盆地を移動する時雨を遠目にもよく見かけるのだが、夏の雨雲というのは低くて空全体が暗くなってくるので今どこが降っているのかは近くになってからでないと分からないことが多い。昨日の場合は、坂の先の駅の向こう側が烟っているので「こっち来い、こっち来い」と念じていると、やがて白い幕のようなものが段々近づいてきてそれがこちらの方へ向かってくるのだった。
1時間くらいは降ってくれた夕立であった。

連日の日照りに焼けそうな田や畠にとってひさしぶりの慈雨となったのは言うまでもないが、農業をやらない我らまでもが待ち焦がれていた雨、それも驟雨と言っていいくらいしっかり降ってくれたのである。
一部には降りすぎるくらいであった雨ではあるが、盆地を東から西へ向けて駆け抜けるように雨をもたらした雨雲も夕方にはあがり、夕方のニュースでは若草山に虹が立っている模様が映し出されていた。