実母散

子に持たす雑巾かがる夜なべかな
アイロンの炭の火おこす夜なべかな

今日のZOOM句会の兼題である。

24時間都市の出現など現代においてはほとんど死語に近くなった感があるが、同じく秋の季題「夜業」との使い分けとなるとなかなか難しいものがある。
「夜業」は組織としての本業あるいはその延長としての夜勤であろうが、秋の趣をどう醸し出すか。これもまたはなはだ難しい。
いっぽう夜なべは個人的あるいは家庭的な都合で行う夜仕事であり、これには秋の夜長、日短という背景を考える必要があるだろう。お百姓さんなら採り入れの季節で夜も惜しんでやらなければならないことも多かったはずである。
農業に関係ない家に育った私は夜なべというと母の内職を思い出す。洗い張りした布を仕立て直すわずかな銭を稼ぎながら育ててくれたのだが、その無理がたたって長く病に苦しんだ。実母散、中将湯など漢方薬を煮出すのを手伝ったことなどを思い出す。
どう考えても古い時代のことばかりを思い出す季題である。

海のギャング

影ひとつ仕立て直しの夜なべ妣

母は若いころ裁縫をやっていた。

ひとさまの反物をあずかったり、洗い張り、仕立て直しの仕事で夜遅くまで起きていることもしばしば。庭には洗い張りの布がよく干してあったものだ。
あの布を竹ひごでぴんと張るものを何というものか知らないが、実はあれとそっくりの天日干しで最高の干物が出来上がるものがある。うつぼ。そう、海のギャングのあれである。肉厚で約1センチ、腹を割いて干すのだが、干すとちりちりとまるまってしまうため竹ひごを何本も渡して干すのである。ざっと干したのを軽く炙ってくうとこれぞ絶品。干物の王様中の王様である。
産地でないとなかなか手に入らない貴重なものだが、友人の志摩にある親類の家で一度だけいただいたことがある。
もう一度食べてみたいものだ。