ほっこり

小春日の石のベンチを譲り合ふ

今日はさすがに冬日の、風の冷たい一日だった。

とても小春の陽気とは言えない。
石というのは熱しやすく冷めやすいので、こんな日に石のベンチに腰掛けるには勇気がいるが、歩いていて体が温まっていれば短時間なら我慢できそうだ。
ついこの間の散歩のときには何人かでスペースを譲り合ってさらにほっこりしたものだが。

尾羽をうまく使い

小春日の鳶に乱流ありにけり

風ひとつない頭上に鳶が輪を描いている。

どうやら、そこには鳶を舞い上げる気流がのぼっているらしい。
意外に低い位置で、様子は下からもよく見える。翼を広げたまま尾羽をひらひらと動かしては器用に風をとらえ、泳ぐようにじっくりと回っている。視線は下に向いているのは、獲物を狙っているのにちがいない。

こちらはそれを何とか句に詠もうとしばらく上空を睨んでいるのだが、授からないうちに流れていってしまった。

男神らしさ

小春日の千木金色に布留の杜

石上神社はあまりにも由緒が古くて分からないことが多い。

かつて神社のあった辺りは武を司る物部氏の領地で、物部宗家が滅びたあとの大和政権時代の武器庫でもあったと言われている。本殿もかつてはなく神池を祀っていたというから相当古い神社であることは間違いない。
国宝の本殿の千木などはいかにも男子の神を祀っているという無骨なほどの感じがする。
千木や鰹木の両端は金箔でも施されているのだろうか、小春の太陽を浴びて眩しい。

大和郡山

小春日や金魚顔出すお池かな

西の京へのポタリングの続き。
斑鳩を抜けると金魚養殖で全国シェア40%を占める大和郡山市域に入る。富雄川沿いの自転車道を走っていると緑がかった養殖池がちらほらと目に入るようになる。
この日は暖かい陽気に誘われるように真っ赤な金魚の稚魚たち(補:金魚の苗という)が水面に浮かんでいたが、池の色との取り合わせがまさに補色関係にあるので強く目に焼きついた。

郡山は戦国時代に筒井順慶が築城し、その後豊臣秀長が入城した畿内でも重要な位置にあるが、金魚養殖は享保年間に柳澤吉里が甲斐より移封された際持ちこんだのが始まりと言われ、武士階級の内職にもなっていたらしい。
ただ、譜代城下だったせいか市中心街の住宅はなかなか立派な家が多い。今回はスルーした街なので郡山城などいつかまた来てみたい。