椿井城

三成にあまる左近の山粧ふ

生涯がはっきりしない武将である。

主を求めていろいろな武将に仕えたが、関ヶ原を最後に消息が絶えた。鉄砲傷で死んだという話しもあれば、生き延びて静岡あるいは京都で隠れ住んだという話もある。
数々の武功に三成がおのれの知行の三分の一以上を与えて迎えたというから、戦国武将の間に名がとどろいていたのであろう。
「三成に過ぎたるものの二つあり。島の左近と佐和山の城」。
家康暗殺をすすめたが三成がこれを拒否し、関ヶ原緒戦では東方に手痛い打撃を与えたという逸話が残っており、歴史ファンにも人気がありそうだ。
筒井順慶に仕えた頃の拠点だと思われるが、矢田丘陵の南端に椿井城があった。西端の平群谷には平群川(正式には竜田川と呼ばれる)が流れ大和川に合流し、東側は大和盆地ににらみをきかす格好の位置にある。弾正の信貴山上を牽制する意味でも戦略的な価値が高かったであろう。
在五の業平の竜田越えルートともなっている法隆寺につづく丘陵南端は今雑木紅葉におおわれて見事に彩られている。

十一月

粧ひを正し二上山雨上がる
粧ひて雄岳雌岳の相競ふ

雨に洗われた二上は鮮やかだった。

朝方雨がやんでみるみる雲がひいてゆくと、見事な紅葉、雑木紅葉である。
竹内峠から南はなかなか雲が晴れなかったが、昼頃ともなれば葛城まで見通せる天気となった。
気温も予想以上にあがり、ちょっと歩けば汗ばむほど。

今日から十一月。季節は間もなく冬に。
秋を惜しむ候。晩秋の季題探しは忙しい。