また会う日まで

素直には返れと言へぬ帰省かな

社会人も人の上に立つ身となれば簡単に帰省できない事情が増えてくる。

それなりの年齢にもなれば義理の親の入院や介護であったり、今年はまたコロナウィルスが全国を席巻している状況ではまして難しい。
今日もしばらく子と電話してまたあえる日の来ることを期待するのであった。

自己責任

時期ずれの帰省の報も次子らしき

突然に帰省するという。

この気まぐれもいかにも次子らしい。
社会に出れば、最低限の知恵も備わるだろうから、好きなように生きて好きなように暮らすがいい。
それにしても、「自己責任」という名で生きにくくなった世であることよ。

動物を飼うと

シッターを猫に残して帰省かな

今年の夏は誰も帰らないらしい。

わが家同様、猫を飼っているということもあって、まる一日家を空けるのは容易ではない。
動物ホテルにうまく適応できる子たちであればいいのだが、そうではない場合、うまく留守を預かってくれる人に水や食事とトイレの面倒をお願いするしかない。
そんなこともあって、年に一回帰省できればいいほうである。
この盆は爺婆だけの静かな三日になりそうである。

夏の帰省は旧盆のケースがほとんどである。だから秋の季語としたほうがうなづけるのだが、かつては夏に帰るのが通例だったのかも知れない。

旧習

連なりて蛇行の尾灯や帰省かな

帰省Uターンのピークと報道されていた日を過ぎたので昨日遠出をしてみたが、案に反して帰りは高速道路もサービスエリアも子供たちを連れたUターン族で満ちておりひどい渋滞であった。
高速道路、とくに静岡県あたりを走ると特にそうなのだが、平坦な上に直線にならないように設計されているので遠くまで先行車の列がよく見えることがある。
夜などは暗い背景に赤い尾灯が連なってうねうねと蛇行する幻想的ともいえる状景に出くわすと、お盆には帰省するものだという日本の旧習もまたいいものだと思う。たとえ混雑や交通渋滞という困難があったとしても。