歳時記より

名水の他になしとて摂待す
百選の水がせめての門茶かな
手甲のままに門茶を受けにけり

今日も歳時記から。

ホトトギス歳時記によると「供養のため、仏家で門前に湯茶の用意をし、寺巡りの人および往来の人に振る舞うこと。門茶ともいう。陰暦七月初旬から二十四日ごろまで行われたものであるが、今ではほとんど見かけなくなった。湯茶の外に、塵紙や草鞋などの摂待もあり、剃刀摂待といって月代を剃る摂待もあったという。」
四国遍路の接待というのは有名だが、それとの関係はよく分からないが、かつての摂待の精神が今の遍路をもてなす摂待につながっているのかもしれない。

山深い寺あるいは集落で、めぼしい産物もないところではせめてもの百選に指定された名水が唯一の摂待として振る舞われている光景を想像してみた。