用途

あをきまま切り刻まれて今年藁

まだ青い。

青いのが無雑作に切り刻まれて田に捨てられてある。
本当は捨ててあるのではなくて来年用の堆肥代わりに放置されているのであろうが。
今どきは機会で苅るので、刈田を近づいて見るとほとんどが細かく刻まれて株の間を埋めている。
機械の入りにくい隅などは手刈りするようで、藁束がこれまた無雑作に田に放置されてもいる。特別な用途もなくそのまま朽ちてゆくのであろうか。

消えゆく言葉

新藁の形とどめぬコンバイン

「稲架」なんていう言葉はいずれ歳時記の中にだけ存在することになるのではないか。

新しいノートブックPCにATOK2012を入れたが「はざ」でも「はさくい」でも「稲」に関わる用語は全く候補として出てこない。俳句を詠むということはある意味で日本語や日本の風習を守ったり伝えたりすることであろうし、稲架も日本には残ってもらいたい風景の一つで、せっせと毎日俳句を詠むのもそんな言葉、風景を大事にしたいからである。

1日で終えられたとみえる稲刈りのあと、共同作業小屋の脇には細かく粉砕された稲藁が山のように積み上げられている。このあと田んぼなどに撒かれるのだろう。稲藁がなくなって困るのは家庭菜園などの敷き藁である。乾燥や病虫害防止のため根元に敷き詰める稲束が必要なのだが、今は手近な所では手に入らない。ホームセンターなど行けば一束2,000円以上の値段で売ってるが、どこのどういう素性のものか不安で買う気がしないのである。