棒のごときもの

日記いつ果つるともなきブログかな

「日記果つ」、傍題に「古日記」。

一年間綴ってきた日記もいよいよ古び、あと一日の記述を残すのみ。
普通の日記帳なら、手に取って今年のあれこれを思い浮かべ述懐にふける時期でもあるし、年が明けるとインクの匂いも香しい新日記にかわると気持ちも新になるものだ。
いっぽうで、ことブログとなると物として親近感や感慨をもよおすものとてなく、一区切りという感覚も薄くなる。

それこそ虚子の言うように一本の棒のようなものかもしれない。

句日記いつまで

日記果つすなはちわが句尽きるとき

日記果つとはその年の日記を書き終ることだという。

とすれば句日記ともいえるこのブログの果つる日はいったい何時なんだろう。
5千句めざして毎日作句すると決めた以上、我がブログが果つる日はやはり満願のときが相応しいのだが、運悪く気力体力が衰えて続けられなければその日が果つる日、もう作句することもできないときである。もし、5千句まで到達しさらに次の千句めざすとして、志半ばで途絶えても同じことである。

命果てるまで句日記を綴り続けられれば最高の人生だったと満足できるかもしれない。