棒のごときもの

日記いつ果つるともなきブログかな

「日記果つ」、傍題に「古日記」。

一年間綴ってきた日記もいよいよ古び、あと一日の記述を残すのみ。
普通の日記帳なら、手に取って今年のあれこれを思い浮かべ述懐にふける時期でもあるし、年が明けるとインクの匂いも香しい新日記にかわると気持ちも新になるものだ。
いっぽうで、ことブログとなると物として親近感や感慨をもよおすものとてなく、一区切りという感覚も薄くなる。

それこそ虚子の言うように一本の棒のようなものかもしれない。

“棒のごときもの” への2件の返信

  1. 今年も毎日一日一句、言うは易し行うは難し。
    頭の体操にもなるでしょうね。
    楽しませていただき勉強もさせていただき感謝です。
    私は散歩の途中が一番言葉が生まれやすいと感じます。

    私の5年日記も後一日で終了。
    新たな5年日記を買い求めました。
    一日数行のものですが5冊目、さらに家計簿は同じ出版社のものを46冊目。

    1. さらにまた五年生くべく日記買ふ

      5年と言わず、10年日記でもいいんではないでしょうか。
      お父様も、お母様も長生きされたんですから。

      目からの刺激というのは大きい要素を占めますね。
      来年もいい言葉が生まれますよう。

      今晩、「100分で名著 良寬詩歌集」の最終日でした。
      今日の4回目だけしか聞かなかったのが、ものすごく残念なことをしたと悔やんでいます。

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