線路脇で

単線に電車来るらし枇杷の花

全うの覚束なしや枇杷の花

枇杷の花が咲く頃になってきた。

去年の今頃は正暦寺の紅葉見物の帰りに見た記憶があるので、紅葉とは行き会いのような形で咲くのだろう。枇杷の実は初夏の頃の食べ物だから、こんな時期に交配してこれからずんずん寒くなる時期に実を太らせていくと考えると通常の果物とは随分性格が異なると言える。
冬を通して実をつけているものといえば他に夏みかんなどがあるが、あれは他の柑橘類同様初夏に花を付け実をつけさせたものを、酸味を抜くために冬のあいだも木の上で過ごさせて翌年の春先から初夏まで、いわゆる木成りさせたものを収穫するものだから、枇杷の生育サイクルとは基本的に違う。

むかし、鹿児島の錦江湾に沿った日当たりの良さそうな斜面一面に袋掛けされた枇杷を見たことがあり特産だと聞かされたことがあるので、以来枇杷とは暖かい地方のものかと思っていた。だから、当地のような昼と夜の寒暖差が大きくて底冷えのするようなところでも見られるというのは意外に思ったりする。

散歩道の線路脇で隣の藪椿と空を奪うようにして大きく枝を伸ばした枇杷の木があるのを見つけた。ここでもすでに花が開き始めていた。

惜しむ

名跡の 光芒果てり 枇杷の花

十八代中村勘三郎の訃報に驚いた。

意欲的な舞台で歌舞伎の世界で異彩を放っていただけに、歌舞伎ファンならずとも勘三郎を知らない人はいないだろう。家人とも「いつか舞台を見に行きたいね」と話していたのに叶わなくなって非常に残念でならない。

一方、幼年時代からスポットライトを浴びて来た人とはまるで対照的にひっそり咲き始めた花がある。枇杷の花である。