半減

芝枯れて墳丘子らのすべり台

一部土が露出している。

子供たちは遊びを見つけるのがうまい。
結構大きな前方後円墳の芝もすっかり枯れて格好の滑り台なのだ。段ボールを尻に敷いて何メートルか滑り降りる。
その滑った跡の芝がはげて土が露出しても、巨大な丘の形はびくともしない。
平らなところばかり歩いてもつまらないので、前方墳から後円部分にかけての斜面をよじ登るようにしてはまた降りるも取り混ぜて変化を持たせている。
一番高いところに立てば、四面に盆地の山々が望め、しばし深呼吸しては息をしずめる。
舗装した部分を歩くのは腰にひびくので、できるだけ土や草の部分をよって歩くので6キロくらいは歩ける。それでも痺れる腰を何度か屈伸させてなだめながら、いつもの周遊コースを歩く。
去年もそうだったが、今年も渡り鳥が少ない。歩く楽しみが半減する。

一月尽

枯芝を踏んでお靴の鳴らざりし

なるべく土の部分を歩く。

アスファルトやコンクリの舗道は突き上げてくるあの感じが好きになれない。
公園を散歩するにもできるだけ横道にそれて土の感触を楽しむ。これは距離を稼ぐ意味でも有効だ。万歩計こそ携帯しないが、通常ルートを行くより10%くらいは多いのではないか。
芝草のうえならさらに足裏に優しく具合がいい。
スキップを踏んでも靴は鳴らないが、地面の微妙な凹凸を感じながらバランスを取っているのがよく分かって、それだけで楽しくなってくるのだ。

昨日は、一年ぶりにトラツグミに遭えた。よく見るツグミとはちがって随分臆病のようである。
今日は、笹鳴きのウグイスが姿をじっくり見せてくれた。
先週末から早い梅がほつほつ笑い出してきたし、寒木瓜もポツポツ。明日からは二月。春はそこまで。

ものみな枯れて

枯芝の宗派問はざる墓地半ば
犬ともに枯芝つけて帰りたる
芝枯れて後円墳とすぐ知れる

芝生が枯れきる季節である。

芝生が青々としていると人は中に立ち入るのをためらうが、枯れ芝となるとちょっと違うようである。
なんの躊躇もなく芝生を横切りたちまち近道ができてしまう。そうしてこれが重なると、その部分が裸地となって芝生が惨めな状態と化すのである。