胡乱な記憶

桐咲いて今ひとたびの花明り

朝カーテンを開けて驚いた。

八幡さんの森にひときわ目立つ紫がかった花木がある。桐の花をみつけたのである。
距離でいえば自宅からは100メートルもないくらいで、同じ傾斜地にあって一段小高い森の一角だからよく見えるのである。
あの辺りは今月前半に毎日のように窓越しに桜を楽しんだあたりで、周りが新緑に包まれる頃となって忽然と主役に躍りでてきたようなものである。
というのは、ここにすんで5年になろうというのに、今まで桐があることなど全く気づかなかったのである。2,3年前には桐の花を求めて、わざわざ当麻のほうまで出かけたというのに、なんとも迂闊な話である。

灯台下暗しというか、普段見ているつもりで実は見ていない、ということだろうか。

落剥

風来たる枝より揺るる桐の花
桐の花あたりを払ふ高さかな
抜きん出て雑木見下ろす桐の花
櫛の歯の欠けるごと落つ桐の花
竹とんぼ舞ふやうに落つ桐の花
落ちやうの落下傘めき桐の花
ラッパ口下に舞落つ桐の花
その形の落ちて知るなり桐の花
桐の花落つるやすでに萎えゐたり

昨日二上の麓を走らせていると、遠目にも桐の花が何本かよく見えた。

用事を済ませた後で、再びその場所に行ってみると二上パークという道の駅があって、その奥の「二上山ふるさと公園」に大きな芝生の丘が広がっており、周囲の雑木林から抜きん出るようにして桐の花が咲いているのだった。
落花した桐
そばまで行って見上げていると、ときどき音もなくハラリと落ちてくるものがある。長さ5、6センチのラッパ型をした桐の花で、その根元のほうを下にしてくるくる回転するように落ちてくるのだった。あらためて木の下を見てみると、すでにかなりの数の花が散り敷いていて、そのどれもが形を維持するのも難しいようにげんなりと萎びている。落花直後のものであってもすでにラッパは閉じられるようになって張りがない。
木の上にかたまって咲いているのを見るだけでは、一つ一つの花がこんなに大きいとは知らなかったし、なにより大変豪華に見えていたのが、いざ落ちてみると意外なほど情けない姿をしているのを知ってその落差の大きさに驚くくらいだ。
桐は昔から葉が落ちるさまに凋落を重ねて見てこられたが、花の落ちるのも負けず落剥の思いを深くするのだった。