親藩の天守なき跡梅白し
鈴屋の移築の先の梅白し
武家長屋守継ぐ子孫梅白し
本居宣長の花と言えば「桜」だ。
その書斎「鈴屋」が松阪城址に移築されて今は、「本居宣長記念館」になっているという。
桜の季節には桜まつりが開かれるが、それに先だって同じ城址に小さな梅林があり市民の和みとなっている。
天守は早くに焼失したままで、再建されることはないが、築城の名手・蒲生氏郷が築いたという石垣は残されている。
高校生の頃だったか、友人と訪れたことがあるきりで、その後一度も足を運んでないが、見上げるように見た石垣の素晴らしい記憶は鮮明だ。高山さん(藤堂高虎)の石垣とは比べものにならない立派なもので、やはり氏郷が連れてきた穴太衆の手になるだけある。
氏郷はまた、城のみならず町には商人を集めておおいに経済活動を促したことが、その後の商都・松阪の名を高らしめたことはよく知られている。
松阪は元は松坂と書いた。呼び方は「まつざか」ではなく「まつさか」。地元では「マッツァカ」と発音する。