親藩の天守なき跡梅白し
鈴屋の移築の先の梅白し
武家長屋守継ぐ子孫梅白し
本居宣長の花と言えば「桜」だ。
その書斎「鈴屋」が松阪城址に移築されて今は、「本居宣長記念館」になっているという。
桜の季節には桜まつりが開かれるが、それに先だって同じ城址に小さな梅林があり市民の和みとなっている。
天守は早くに焼失したままで、再建されることはないが、築城の名手・蒲生氏郷が築いたという石垣は残されている。
高校生の頃だったか、友人と訪れたことがあるきりで、その後一度も足を運んでないが、見上げるように見た石垣の素晴らしい記憶は鮮明だ。高山さん(藤堂高虎)の石垣とは比べものにならない立派なもので、やはり氏郷が連れてきた穴太衆の手になるだけある。
氏郷はまた、城のみならず町には商人を集めておおいに経済活動を促したことが、その後の商都・松阪の名を高らしめたことはよく知られている。
松阪は元は松坂と書いた。呼び方は「まつざか」ではなく「まつさか」。地元では「マッツァカ」と発音する。
子どもの頃、町へ行くと言うのは津か松坂のどちらかであった。
松坂は城下町の雰囲気が漂い風情があります。
津は殺風景と言うか・・・
発音はツー、マッツアカどちらも三重県人独特の発音です。
津は典型的な平城で、元は内堀、外掘とも立派なものだったようです。今は見る影もありませんが。
城跡にはかつて図書館があって、夏はよく涼みに行ったものです。
戦災を受けた町とそうでない町の違いもあるかもしれません。
去年、久しぶりに松坂へ行きました。
「鈴屋」も懐かしかったです。空いていて見学者は数名でした。
のんびりとしていて、気分よく見学できました。
城の石垣、いいですよね。天守はなくなっても石垣は残りますね。
何処に行っても、石垣の一部でも残っていると想像力をたくましくできますよね。歴史の生き証人のように思えます。
熊本の例をみても、石垣を守り続けてゆくのは大変ですね。松阪城はよく保存されていると思います。関係者の努力があるんでしょう。
敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花
本居宣長、古くなった源氏物語を虫干しし地中にあった古事記を掘り出し日の目を当てた。郷土の大偉人。お蔭で私も源氏物語~古事記と遊ばせてもらっています。
マッツッカ殿町中学出身の友人とも元気に遊んでいます。
全く埋もれていた古事記を掘り出したんですからね。すごい功績です。おかげで、日本人の精神風土、アイデンティティを共有できる神話をもつことができました。