視座

枝ぶりのよき梅さだめカメラ据う
ファインダーの梅のいつかな揺れやまず
梅ヶ枝のあをきに白のふふみけり

難しいものである。

「梅」に真向いた句を作ろうとしたが、どうしても第三のものの力を借りて詠んでしまう癖がついているせいか、安易なほうへ逃げてしまう。カメラ、撮影という視座を借りれば何とか形にはなったが、三番目の句のように梅そのものを詠むのはどうもうまくいかない。
このあたりの表現力がつけば句の幅が広がると分かっていて、実際には高い壁として立ちはだかってくるのだ。

梅花宣言

手入れなき梅の蕾もほぐれけり

ようやく梅が開いたのを見た。

いつもの散歩道、人の手もしばらく入ってないような細い枝が伸び放題の梅があるのだが、昨日通りかかったら窮屈そうな枝振りにかかわらず開花し始めているのを見た。遅かった梅だがようようかしこで楽しませてくれそうだ。

我が家のはまだちょっと早いようだが。

変わらぬ姿

長旅の移植乗り越え梅開く 

心配していた梅がようやく開花した。

昨年、仮住まいから新居へ二度も移植したおり極端に剪定してあるので相当弱っているはずだが、この長く寒かった冬を越してくれたようである。
あとはなんとか新芽を伸ばして体力回復できるように看てやらなければ。

梅はまだか

常ならぬ閏二月の梅二輪

どちらでも、この時期の花が相当遅れているらしい。
東京から移植した白梅などは例年早ければ1月末には咲き始めていたのだが、未だ蕾のままだ。
気候の違いや今年の寒さ続きも原因なのかもしれないが。

石光寺の庭で見た紅梅、それもたったの二輪だけ、が今年最初のものだ。