臨時早退

日もすがら沙羅の落花の腐し雨

一日花だから毎日咲いてはこぼれてゆく。

そういう性格の花だが、この豪雨にたたかれていつもより多くこぼれ色あせてゆく。
まさに諸行無常の象徴だが、雨となるとひときわその重いを強くする。
今日は朝から大雨、洪水、土砂崩れ警報が出て、当町では高齢者は避難するよう防災放送があったり、スマホの災害警報がけたたましく鳴ったり、いやはや騒々しい日であった。
さいわい、数時間で解除されたが、当町はとりわけ大和川に近い地域は何度も浸水の被害にあっているし、崖の多い地区もあるので、役場の人たち、消防団、そして介護施設職員なども大変なことである。
共稼ぎの隣家には小学生のお子たちがいるが、午前中に早々と休校となったなったようで、先生たちに連れられて帰ってきた。上の子はもう高学年なので留守をしっかり守っているようだった。このようにして、昼間親御さんの居ない家庭の子供たちはたくましく育ってゆくのにちがいない。

蜆みたいな

姫沙羅のぽろぽろ咲いてきりがなし

地味な花である。

いっぱい花をつけるのだが何しろ小さくて目立たないが、まるで蜆のようにかわいい。

雨に叩かれて

二百段巷を隔て沙羅の花

この時期、梅仕事も忙しいが、花だって忙しい。

紫陽花は雨を欲し、沙羅の花は今日を咲き急ぐ。
沙羅樹の足元には雨に散った花が落ちているが、花を踏んでまでそばに近づこうという気はおきない。
椿も同様だが、落ちたものとて落ちたものの命が宿っているようにも思えてくる。まして、たった一日きりの花となれば余計そういう思いは深いのかもしれない。

奈良盆地をみわたす伽藍の、一僧房の庭に立派な沙羅樹があり、塀越しにも一輪一輪がはっきり見える。
沙羅樹は沙羅双樹とは似て非なる別品種だと聞くが、寺院の一画におくと実によく似合うように思えるのだがどうだろうか。

寺には娑羅の花が似合う

真言宗花沙羅散らす大僧房

玄関先に姫沙羅が散っている。

ずいぶん前から咲いているが、雨がずっと降らなくて、乾いたまま散ってゆくのを見るとちょっと違うなという気がする。
やはり、梅雨時の花なので、紫陽花同様にしずくが似合うと思うのだ。
その紫陽花で知られる矢田寺では、いくつかある僧房のひとつにすっくと一本、堂々とした夏椿が辺りを払うように立っている。これなどは、無言ながら気品を漂わせ、紫陽花に負けない存在感がある。
沙羅の花はやはり寺院に似合う。

掃くのが日課

沙羅落花朝な夕なの往き帰り

玄関の姫沙羅がまだ咲き続けている。

姫沙羅というのは一般の沙羅とはちがって一日花でもなく花も小さいが、数多く芽をつけて咲くようである。どちらかといえば地味な花で、花よりもむしろ幹の肌の色、滑らかさを愛でる木であるらしい。
いっぽう旧居では沙羅だったので、椿のような花が咲いてはすぐにぽろぽろ落ちて、玄関から道路にこぼれたりするのを眺めては毎日出勤し、帰宅したものである。