半世紀

父の日のことなく過ぎしいくそたび

先週日曜日が父の日。

毎年その日をどう過ごしたかは別として、はじめて人の父となってはや半世紀が過ぎた。
あと十年もすれば、その子も還暦を迎える。
50年とはなんとも気の遠くなるような日々だが、実際にはあっという間の50年だったような気もする。
いろんな山谷越えての今日。
おだやかに過ごせられる日々のありがたさ。

日の目を見る

家長でも父長でもなくファザーズデー

六月第三日曜日。

世に父の日と言うそうである。
子供たちが小さい頃、感謝しようにもそもそもその父親は滅多に家にいなかった。
今さら祝ってほしいなどと願っても詮無いことだ。
ひきかえて最近の若いお父さんはやたら家族に優しい。子供だって父親のことを怖がらなくなったろうし、やっと父の日も日の目を見る時代になったのかもしれない。

震度4地域

父の日の祝ひも兼ねて地震見舞ひ

いきなりのガタガタには驚いた。

ありがたいことに、いろんな方面から見舞いの電話が。
昨日は、子供たちから父の日だからといって特別何もあったわけじゃない。
まして、すでに父の日のプレゼントはもらっているので、慣れたもんである。
そんなこんなで昨日は音無しだったが、今朝は地震の報を聞いて安否を尋ねる電話をくれた。
東日本地震以来いざというときのために、twitterで安否を知らせあうことにしているが、今回はそれほどのこともないと判断したのだが。

近畿中部と日向灘沖地震は南海トラフの前兆ともいうので、念のため飲み水を買いに走った。
風呂の湯も当面は即日に落とさずに、万一に備えようと思う。

今日のメニューは

父の日の男料理の自画自賛

六月十日は時の記念日と教わった。

今と違って、時計は時間を管理する絶対のものであり、時と時計は一体となっているほど身近であったので、この日はラジオや新聞でも必ず取り上げられていたものだが、最近はすっかり影が薄くなってしまった。
いっぽうで、かつておなじく影が薄かった感のある父の日が最近では、復権したというか、祝日とまではいかないにしてもようやく社会的な地位を与えられたようである。
ただ、わが家ではまだまだ日の目をみることはないようで、とくにあらたまったことは、これまでもこれからも何もないだろう。

時の記念日をいまだにはっきり覚えているのは、この日が父の誕生日であったこととも無縁ではない。

これといって

父の日の父の子古稀になりにけり
父の日やいつしか父に長らへる

一昨日は父の日だった。

どうも父の日は影が薄くて、自分も父には特に何もお祝いした覚えはない。
特に、父と息子とはもともと通い合わせる会話も少ないし、高度成長期の子は成人すると家を離れることが多いのでますます会話は少なくなった。父は比較的早く亡くなったので、大人同士の会話の記憶はわずかしかない。

かくして親の因果が子に報い、ではないが、いつものことながら「父の日」と言っても普通の日と全く変わらない一日で終わるのだ。