悩みの種

秋の蚊を打ち損ねたるたなごころ

家の中に迷い込んだようだ。

なかなか捕まらない。居所がわかれば追い詰めて掃除機で吸い込んでやるのだが。
気になるといつまでも気になる。
脱衣場で羽音を聞くといてもたってもいられない。そうそうと風呂場に駆け込むのだが、出てからがまた問題。たいていはもういなくなって、またどこかでいらつかせる。
その日のうちにつぶすことはまずなく、数日は悩ませることになる。

夕涼の敵

湯浴して無防備つける秋蚊かな

今日は蚊に刺されないで済む日だった。

猛暑の間、散水の強敵は蚊の襲来で毎回何カ所かやられていたが、終日曇で30度を越えない気温もあって水遣りしないで済むのは何日ぶりであったろうか。
ただ風呂上がりの夕涼みと油断したらたちまち蚊の襲撃にあう。
秋の蚊とはいえ、そのどう猛さは夏と変わらない。

敵討ち

歯磨きの空いた手で打つ秋蚊かな

洗面所の網戸に蚊がしがみついている。

いつのまにか、人の後について入ってきた蚊だろう。
入ってきたはいいが脱出できなくて、夜を明かしてから明るい窓にへばりついていたのだ。
一晩以上いたと見えてだいぶ疲れているようで、利き手でない左で簡単に潰されてしまった。

しかし、庭にいるやつはしぶとくて、夕方にはちょっとの隙に何ヶ所も仇を討たれてしまった。
猛暑がいまだ居座るようじゃ、秋蚊とてまだまだ元気がいいようである。

吸引力

秋の蚊の出会い頭のダイソン禍

掃除をかけていたら、蚊がすっと現れた途端に消えてしまった。

ここ数日家に迷い込んだやつがたまたま低いところを生きていて、流行のトルネードとかいう掃除機のパワーに巻き込まれてしまったようだ。
夏の元気な蚊ならばそんな低空をうろつくこともなし、秋の蚊とはかくももろい。
生前に私の足首を吸わせてやったのが供養となろうか。

殺生するなと

大寺の奥まるほどに法師蝉

唐招提寺の和上廟は南大門から入ると一番奥の北東角にある。

手前が中秋の観月讚仏会が行われる御影堂で、ここいらからは木が鬱蒼と茂り小暗き森のようになる。和上はこの静けさのなかにお眠りになっているわけだ。
それまでは、蓮だ、小鳥だ、お釈迦様だと賑やかに歩いていたが、このしーんとした浄域に入れば蚊も多くなり法師蝉も降るように鳴いている。

殺生を戒しむ寺の秋蚊かな
不殺生の故事ある寺の秋蚊かな

この唐招提寺では5月19日、鎌倉時代の中興の祖・覚盛上人の命日に「うちわまき」が行われる。
不殺生の教えを守り、蚊も殺さなかったという上人をしのび、「せめて蚊をよけられるように」と奈良・法華寺の尼僧がうちわを供えたのが由来という。
そんなことを思い出して、もう一つ。

戒寺の打つをためらふ秋蚊かな

したたかに

ひとむらの竹をよるべの秋蚊とも

デング熱とかいう蚊を媒体にした伝染病が騒がれている。

蚊−>人−>蚊−>人。。。どっちが元の宿り主なのか、鶏か卵かどっちみたいな話でよく分からぬが、こうしたウィルスは人が世界各地を行き交う時代ともなれば、どこにでも伝播してしまうものなんだろう。

吟行などで竹や木が茂ってるような所など、今の時期はまだまだ蚊が多くいる。歳時記では「秋の蚊」を辛うじて秋まで生き残った弱々しい蚊を言うのだが、温暖化のせいか9月といっても気温が高い日がつづくので、どうしてどうして最近の蚊は大変元気なのである。
そのあたりを詠むのも句にはなるけれども、これからは辺鄙な場所だからといって安心はしていられない。吟行といえども、虫対策はしっかりしておかねばならない。

明後日は俳句会本部主催の明日香村吟行。大変広い場所を2時間弱くらい歩き回って七句出句というのは結構きついものだが、蚊に遭遇したならば「秋の蚊」に詠み込むくらいしたたかに参らねばとてもものにはできないと思うのであるが。

健在だが

秋の蚊の細き羽音を払いけり

秋の蚊の 払えるほどの 羽音かな

烏瓜の写真を撮るために庭に出た。
雑草をちょっと踏み分けただけで蚊がわんさと寄ってしまう。
ただ、夏の精悍な飛びとはまるで違い、どこか弱々しくて、片手で簡単に追い払えてしまった。