橘寺にて

卵塔に止まず注ぐよ法師蝉

集団となると輪唱しているようだ。

いったい何匹いるかの見当もつかないくらいだ。一匹でさえ飽きもせず繰り返し繰り返し鳴いて賑やかな蝉だが、いったいあれは何の経文を読んでるんだろうか。
さすが橘寺の法師蝉である。

おいし〜つくつく

五年目の寓居賑はし法師蝉

五年目の我が家を初めて法師蝉が訪れてくれた。

庭で羽化した跡はまだ見られないので、どこからか飛んできてくれたものだろう。
この透き通った羽根をもつ蝉は、目の前の木で鳴いていても、なかなか見つけにくいものだ。
結局、どの枝にいるのかを確認できないまま、次の木へ移ってしまった。

蝉が我が家で羽化してくれるまで何年待たねばならないのだろうか。

殺生するなと

大寺の奥まるほどに法師蝉

唐招提寺の和上廟は南大門から入ると一番奥の北東角にある。

手前が中秋の観月讚仏会が行われる御影堂で、ここいらからは木が鬱蒼と茂り小暗き森のようになる。和上はこの静けさのなかにお眠りになっているわけだ。
それまでは、蓮だ、小鳥だ、お釈迦様だと賑やかに歩いていたが、このしーんとした浄域に入れば蚊も多くなり法師蝉も降るように鳴いている。

殺生を戒しむ寺の秋蚊かな
不殺生の故事ある寺の秋蚊かな

この唐招提寺では5月19日、鎌倉時代の中興の祖・覚盛上人の命日に「うちわまき」が行われる。
不殺生の教えを守り、蚊も殺さなかったという上人をしのび、「せめて蚊をよけられるように」と奈良・法華寺の尼僧がうちわを供えたのが由来という。
そんなことを思い出して、もう一つ。

戒寺の打つをためらふ秋蚊かな

晩夏の輪唱

をちこちの序章終章法師蝉

さすがにこの時期になるとアブラゼミは聞かない。

昼のツクツクボウシ、夕のかなかな。
いずれも晩夏の趣に富み、この季節には欠かせない千両役者である。
かなかなは言うまでもないが、ツクツクボウシというのもよく聞いているとなかなか味があって、止んだかなと思うと間もなくまた「じーぃ」と最初から鳴き始め、いよいよ佳境に至るとテンポを一段と早めて最後には「じーーーーー」で終わりを告げる。
これがあちこちにいると、さながら何部もの輪唱のように聞こえてくる。
このような、ちょっと他の蝉とは違うところが面白いと思う。

賑やかな訪問客

法師蝉ジーと鳴いたら大団円

油蝉と入れ替わるようにツクツクボウシが鳴き始めた。
3センチ足らずの体なのに、あの大音声の源がどこにあるのか不思議でならないが、まるでルーチンのように一定時間鳴く。そのあとジーとなったら決まって終わりとなる。そしたら次の場所へさっさと移動するので、しつこく鳴きつずける油蝉たちよりはよほど作法を心得ているのかもしれない。