小さめのおはぎ二個食ぶ秋彼岸
あっさりとしたお萩を作ってくれた。
手作りだけあって大きさに微妙に差があるが、昼食後だがはじめから二個食うつもりで小さめのものを選んでたいらげた。甘さは控え目ながら十分にてごたえのあるお萩で、餅米も少なめで苦もなく腹に入ったものである。
さて、明日は何個食おうか。
ちなみに、我が家では間食という習慣がない。甘い物はフルーツも含めて昼食後のデザートとしていただく。「別腹」は我が家の辞書にはないのである。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
小さめのおはぎ二個食ぶ秋彼岸
あっさりとしたお萩を作ってくれた。
手作りだけあって大きさに微妙に差があるが、昼食後だがはじめから二個食うつもりで小さめのものを選んでたいらげた。甘さは控え目ながら十分にてごたえのあるお萩で、餅米も少なめで苦もなく腹に入ったものである。
さて、明日は何個食おうか。
ちなみに、我が家では間食という習慣がない。甘い物はフルーツも含めて昼食後のデザートとしていただく。「別腹」は我が家の辞書にはないのである。
県またぐ旅となりけり秋彼岸
コロナを口実にこの秋も墓参を失礼させていただく。
緊急事態宣言発令中だが、京都などは前週比倍近く、近鉄奈良駅前で22%増と人出がふたたび戻ってきているようだ。だが、専門家の予想では第六次の波は避けられず、この分では予想より早くやってくる可能性はある。明らかに季節的周期で感染がひろがる傾向があるので、それもお天気次第というところだろう。早く寒波がくれば換気が悪くなり、エアロゾルの密度が高まる。
コロナは空気感染であることを政府は意地でも認めたくないようだが、世界の科学者の間ではコロナは空気感染する者であるとの見解で一致している。ざるの検疫といい、PCR検査と隔離をかたくなに否定する旧態依然の対策では、日本はいつまでたっても収束するどころか、コロナバラパゴス列島になってしまいそうである。
秘仏にも念仏十ぺん秋彼岸
街道は大変な渋滞だった。
難波から竹内街道を経て、盆地を東西に横切り飛鳥までを結ぶ官道「横大路」ができて今年は1400年だそうである。
今日はその竹内街道脇にある愛猫が眠るお寺から、母の菩提寺となる大三輪の平等寺さんへと盆地を横断する格好となった。
葛城方面に南下する県道180号線では二上山、當麻寺あたりから渋滞が続く。今までになかったような渋滞だったことから、鎌倉霊園に向かう朝比奈峠のようなお彼岸渋滞ではないかと勝手に想像しているが、はたしてどうだろうか。
3連休ということもあるのだろうけど、大神神社も大変な賑わいで車の渋滞も激しい。なんとか脇をくぐり抜けて平等寺さんにたどり着けた。このお寺は聖徳太子開基とされ、大神神社の神宮寺として中世隆盛を誇ったお寺だが、明治政府の最大の愚策「廃仏毀釈」により壊滅状態になったのを戦後再建された。辛うじて難を逃れたのが、現在聖林寺にある国宝「十一面観音」さんで、そのデータをもとに復元された観音さんが本堂に鎮座しておられる。
和辻が絶賛した美しい観音さんのコピーであるが、曹洞宗の例にならって「南無釈迦牟尼仏」を10回唱えて感謝の祈りを捧げた。
途中香芝付近を走ると「紅乃屋のおはぎ」という和菓子店のチェーンらしきものがあって、いつも買い求める車が駐車している。とりわけ今日はお彼岸と言うこともあって交通整理の警備員さんも動員されていた。春には「牡丹餅」、秋には「お萩」。「お萩」は秋の季語にもなっているほど季節に深く関わっており、彼岸の頃の気候とあいまって陽気に包まれた暖かい雰囲気を感じることができる好きな言葉だ。
病む母は墓参かなわず秋彼岸
この1週間、日中ずっとベッドに寝ていることが多くなった。
今週にはいって病状がさらに悪化し、栄養分の摂取は少量の流動食とそれを補う点滴に頼る状況で、ますますベッドに臥す時間が伸びることになりそうだ。家人には当分必要最小限の外出しか許されないことになる。