季語

紫の実もあり鄙の花畑

散歩していると、住宅や畑の一角を花畑としておられるうちが多い。

わずかなスペースが秋桜だの、鶏頭だの、ダリアなど種類もさまざまなら色もまたさまざまである。これは何の花、これは何の実とひとつひとつ確かめるのもまた楽しい。栽培品種が増えたこともあるせいか、名前の分からないものが結構あるものだ。紫の実がびっしりとついた小株立ちの木は「紫式部」にちがいないが。

「花畑」は秋だが、「お花畑」は夏だという。「お」がつくかないかで区別する季語というものの深淵を垣間見る心地がする。季語をぞんざいに扱ってはしないかどうか、あらためて自分に問いかけるのだった。

明日は個人的な俳句会の一泊吟行。こころをさらにしてこの目でしっかり見たものを詠もうと思う。