分岐点

草紅葉わけても紅きちんぐるま

たとえ画像でもその美しさには十分感動できる。

とりわけ神々が遊ぶという、広大な大雪山の山裾に広がる草紅葉は圧巻である。
頂にまで広がるナナカマドの赤と、絮が風にぷるぷる震える足下のチングルマの葉の赤さとが濃いコントラストをなして声をのむばかり。
観光のリフトを使って大雪山の端に遊んだことはあるが、そこから旭岳に向かう本格的な山登り、トレッキングに挑戦するまでには至らなかった。今になると、あのときもし山登りの魅力を少しでも感じ取れればと思うと、まさに違った人生への分岐点だったのかもしれない。

天空散歩

小屋泊り明日の目当ての草紅葉
草紅葉この日と定め小屋泊り
三叉路のいずれ選ぶも草紅葉
木道に色を列ねて草紅葉

一度は尾瀬を歩いてみたかった。

これはこの歳になって今さら思うことだが、若い頃は山や坂を登るのが苦手で、入社後富士山二合目までの新人研修とか、職場の奥多摩や大山ハイキングなど苦しいだけだった。
どこへ行くにも車頼みであったので、筋力なども衰える一方であったろう。

考えてみれば、目的地へ行くのが優先のあまり行程の面白さに気づけなかったと言えるかも知れない。
遅くなって自転車に乗り始めたり、俳句を始めたりして初めてそのことに目覚めたのかもしれない。
とくに草紅葉などというものは、俳句をやるまでは価値があるものだという意識すらなかった自分が恥ずかしいくらいだ。

せめて、俳句の中でも天空散歩といこうじゃないか。

黄葉が降りてきた

黄葉した桔梗

黄葉した桔梗

草紅葉ようやく里に降り立ちぬ

吾が宿に 降臨したまひ 草紅葉

涸沢小屋からの草紅葉とは比べものにはなるまいが、ようやく桔梗の葉が庭の片隅でささやかに色づいた。
なるほど、これが草紅葉。今までずっと見過ごしてきたが、俳句を始めたおかげで身近なところで季節感を味わうことができるようになったのは望外の喜びである。

願望

岳人にあらば我が眼に草紅葉

どうも山には縁がない人生らしい。
どこに行くにも車、車の来し方で自分の足で歩くということを避けてきたともいえる。
しかし、テレビなどでアルプスなどの映像を見ることは好きである。
今朝も涸沢小屋からの中継があったので画面に釘付けとなった。
10月には草葉が紅葉する光景が眼前に広がるというが一度でいいから見てみたいものだ。