蓑虫庵

蓑虫の果樹の葉まとひ鳴きもせず

とうとうわが家も蓑虫庵と名づけるべきかと思う。

この春から一匹の蓑虫がときどき枝を替えてはブルーベリーに拠っていた。
夏の間に収穫もとっくに終えて、注意が足りなかったか、今日水をやろうとしたらおびただしい数に増えている。
むろん全員ブルーベリーの衣をまとっているわけだから、葉っぱがすっかり抜けかかっている。青いのを使ったのか、それとも水不足で枯れてしまったのをまとったのか、どちらとも分からないが、いずれにしてもファミリーとしか思えない集団である。
というのは、春から棲みついていたのは大きな衣だったのに、今日目撃した連中はひとまわり小さい。今年生まれたばかりではないかと思うのである。今後かれらが棲みつくのか、四散するのか、しばらくは観察の目が離せない。

また、こうなるとこの秋はまずご本家蓑虫庵に行かずばなるまい。俳句がちっとも上達しないのは、伊賀はほんに近いというに、いまだ俳聖とよばれる翁の足跡をたどったことがないのが祟っているからなのである。

メードバイ萩

蓑虫の約束通り萩衣
蓑虫の萩の衣に揺られゐる

赤はほとんど終わりに近いが、白はこれからだ。

純白の瑞々しい白萩のなかに際だつ枯葉があったので、近くに寄ってみると、なんと蓑虫であった。

崖っぷち

かがむれば木つ葉動きて蓑虫に
蓑虫の縫いしばかりの木つ葉かな
蓑虫の木つ葉からげて雑な蓑
蓑虫の木つ葉の蓑を引きずれる
蓑虫の引きずる旅の一張羅
蓑虫のなにも持たざる旅ごころ
蓑虫の織つたる蓑の木っ葉かな
桜葉の蓑を蓑虫まとひたる
陽石に蓑虫着くも飛鳥かな
陽石に蓑虫蓑をつけしまま
蓑虫に亀の歩みのありにけり
陽石にすがる蓑虫つまみけり
陽石の先に蓑虫戸惑へる

祝戸のマラ石に寄った。

名前の通り男根をかたどった石で、これも飛鳥の奇石遺跡のひとつ。
古老に聞けば、飛鳥川をはさんだ対岸の山が「ふんぐり」しているから「ふぐり山」だと手振り交えて教えてくれた。聞けばなるほど、寝そべってだらんと延びたふぐりのように見えなくもない。
「あの山には昔から陰石もあるちゅうんで、子供の頃ずいぶん探し回ったが結局見つからなんだ」
「庭石か何かにでも誰か持ち去ったに違いないということやった」
陽石はその昔直立していたらしいが、今では45度くらいに傾いている。
なるほどそのままだと感心していたら、先ほどまで葉っぱが落ちているとばかり思っていたのがかすかに動いているではないか。
顔を近づけてみると蓑虫だった。葉っぱを巻き付けた蓑というのはなかなか洒落ているが、そこから頭だけ出して、のろのろと先端に向かって登っているようである。どうやら糸に頼らず地上を散歩中のようである。

ちょっと抓んでみたら、すっと首をすくめてしまってなかなか顔を出してこない。団子虫より相当用心深そうだ。
石の先端部分に置いてみたら、しばらくしてようやく顔を出したが、断崖の縁に戸惑ったように今度は全く動きを止めてしまった。
何だか悪いことをしたような気がしたが、訪れる人も少なく無事に帰すべきところに帰すだろうと、そのまま立ち去ることにした。

風来坊

蓑虫の顎でまかなふ衣食住
鬼の子のハンギングして何せんと
蓑虫の倦みて糸吐く引きこもり

冬になって葉が枯れてくるとよく見える。

蓑虫の蓑は枝にしっかり繊維を巻き付けてあるようで、簡単には外れない。
その蓑は、葉っぱや枝の繊維を己の分泌するもので固めたものだから、和紙のような構造をしているのだろう。葉っぱだけでできているのもあれば、茶柱のような細かな枝を貼り合わせたようなものもある。
冬の間はこのように、しっかり枝に固定されているが、今時分は昼間はあの蓑にくるまっておとなしくしていて、夜に葉や枝などを食べるために活発に活動しているらしい。
ときに糸を長くたらしているところを見たりするが、さらには袋から顔だけを覗かせているときもする。見ていると、なかなか固そうな顎に恵まれているようで、エナメル質の頭部がまるっこくて可愛い。
腹が減れば顔を出して葉っぱをかじればいいだけだし、自分の唾液で作った蓑のなかにいるだけで衣食住にはまったく困らない。
「蜘蛛の糸」のカンダタとちがって、糸に追いすがってくる亡者もいなければ、再び地獄に落ちる心配もない。
ただ風来坊よろしく風に揺られていればいいのである。

ただ、人間、とくに子供は残酷である。
蓑にくるまって身を守っているのを強引に引き出そうという遊びの対象にもなる。

蓑虫のチューブしごかれピンチかな

蓑虫の顔を見ようとするにはあの袋を裂けばいいのだが、しっかり繊維で固められた袋は子供の手には負えない。どうするかというと、蓑の尻から押し出すようにして顔を出させるのである。ちょうど絵の具の最後を絞るように、尻の方からしごいていくのである。用心深くやると、仕方なく顔を出してきたところを御用となるわけである。