現調

築山の観音堂の蝉時雨

刈り込みの庭が見事な禅寺。

通常なら石庭なのだが、ここは石州流の祖と言われる片桐石州が創建した寺、慈光院である。
来月の句会会場となっているので、現地調査も兼ねて訪れたのだが、樹木の種類も多く一歩山門に入れば温度も幾分低い。ちょっと風もあるようで、堂内を風が抜けるのが涼しい。
接待の梅ジュースでさらに気分もすっきり。
このところ、毎日クマゼミが庭を飛び回っているので、いささか閉口していたが、ここでは蝉の鳴き声もどこか慎ましげで、気にはならない。
露地をめぐらせて、広い庭園を歩き回れるような趣向が懲らされているが、築山の上にはかわいい祠のような観音堂が見える。大きな木が覆っていてそこもまた涼しそうである。
実際に庭をめぐる楽しみは来月にとって置いて、今日は資料だけいただいて失礼した。

ものには限度というものが

いま少し遠慮もしやれ蝉時雨
蝉時雨けふは誰とも話すなく
人は社会動物なるぞ蝉時雨

「蝉時雨」は文字通り、頭上から降り注ぐ蝉の鳴き声をいう。

が、実際には周りが低木ばかりでもうるさいほど鳴いていることがあり、「降る」ことにこだわらなくてもいいように思う。
現に、こんな風にあえてことわりを入れたような句がある。

いと低き幹にも蝉や蝉時雨 富安風生

ちなみに、ここ一週間ほどの朝は、油蝉たちが庭の木にやって来ては鳴き交わしが始まり、これが棟と棟との間で反響してさらに増幅してしまうので会話やテレビのニュースも聞き取れないほどだ。ものごとには限度というものがあるようで、ワンワンとした鳴き声に加えて、シンシンと共鳴するような不思議な周波数の音が、耳をというか、体全体を包み込んて、これが苦痛に感じるようになっては蝉時雨の本意から逸れてしまうような気がしないでもない。
ここ数日、10時頃になって静まるのを待って、やっと窓を開け放つことができる。

釜の口山長岳寺

勸請縄懸かる巨木の蝉時雨

長岳寺の門前に立つと大きな縄が頭上に掛かっている。

勸請縄というのだろうか。それにしても、寺に結界を示す勸請縄とは珍しい。
縄の一方は大楠に懸けられて、頭上からの蝉時雨が煩いほどだ。
大和神社の神宮寺であったという通り、今でも大寺である。
山門から奥へ進んでもあらゆるところ全山蝉時雨。
落ち蝉、蝉の抜け殻もあちこちに見られる。

大師堂のど真ん中には大西瓜がどんと供えられていた。
本堂には釈迦三尊像。いずれも玉眼の像としては最古のものらしい。
有名なのは地獄絵だが、秋にしか公開されない。
こんな暑い日ではなく、好天の秋日にこそ来るべきであろう。

筆談

耳遠き人に構はず蝉時雨

雨が止むと今度はまるで耳鳴りのような蝉時雨に包まれた。

一斉に鳴くので、場所もどこかと分からぬほど全身を包むようにシーンという響きだけが伝わってくる。
余命幾ばくもない母を病院より退院させ最期を看取ろうと決めたのは4年前、ちょうどこの時期だった。
歳をとってから耳がだんだんと遠くなり、ついに筆談以外に話をする手段がなくなったのだが、この煩いほどの蝉時雨も本人にはまったく気づかなかったはずだ。

蝉時雨の時期になるたび、あの短かった看取りの日々を思い出す。

法師蝉も

本尊を遠巻きにして蝉時雨

浄瑠璃寺の池の東方の一段高くなったところに三重塔がある。

丹塗りが大変美しい国宝である。
ここに本尊の薬師如来像が納められているが、吟行当日は公開されてないので外から拝むことしかできない。
後背の山からは遠慮がちな蝉の声。なかには法師蝉も混じっているようである。

大きな紅葉の木の先端はすでに紅葉が始まっているようで,丹塗りの塔を借景に透けるように美しい。