かくは鍛へなむ

誓子忌や海を返せし健児あり

今日は俳人・山口誓子の忌日。

卒業してから気づいたのだが、母校の校歌の作詞者でもあった。
新制高校になって新たに校歌を作る必要になり、長く四日市、鈴鹿に療養、疎開していた縁で誓子に依頼したのだろう。
西にそびえる布引の山並みをたたえ、前の伊勢湾をたたえる。その伊勢湾を横断し泳ぎ返した健児の気風をもたたえた詩だ。
鼓ヶ浦時代か戦前に詠んだ、海に出たまま帰ってこない凩の句はあまりにも有名だが、三重一中の先輩たちはその同じ海を、毎年知多半島をめざし、そして津・贄崎に帰ってきた。
水練などという生やさしいものではなかったはずで、伴走する舟の陣太鼓に勇気づけられ、軟弱な友などを励まし助けながら泳ぎ切った精神力というのは想像するだに圧倒される。

校歌 作詞 山口誓子 作曲 信時潔


眼をはなつ布引は
山をたたみて聳えたち
常に吾等をさとすなり
吾等の思い山に似て


源遠く出で来る
古き流れのここに合い
又新しき流れなす
吾等の歴史かがやけり


学びの道を分けゆきて
山懐に深く入り
流れてしかも易らざる
教を吾等身につけん


贄崎にきて沖を見る
かの島山に泳ぎゆき
泳ぎかえせし人ありき
吾等もかくは鍛えなん