かくは鍛へなむ

誓子忌や海を返せし健児あり

今日は俳人・山口誓子の忌日。

卒業してから気づいたのだが、母校の校歌の作詞者でもあった。
新制高校になって新たに校歌を作る必要になり、長く四日市、鈴鹿に療養、疎開していた縁で誓子に依頼したのだろう。
西にそびえる布引の山並みをたたえ、前の伊勢湾をたたえる。その伊勢湾を横断し泳ぎ返した健児の気風をもたたえた詩だ。
鼓ヶ浦時代か戦前に詠んだ、海に出たまま帰ってこない凩の句はあまりにも有名だが、三重一中の先輩たちはその同じ海を、毎年知多半島をめざし、そして津・贄崎に帰ってきた。
水練などという生やさしいものではなかったはずで、伴走する舟の陣太鼓に勇気づけられ、軟弱な友などを励まし助けながら泳ぎ切った精神力というのは想像するだに圧倒される。

校歌 作詞 山口誓子 作曲 信時潔


眼をはなつ布引は
山をたたみて聳えたち
常に吾等をさとすなり
吾等の思い山に似て


源遠く出で来る
古き流れのここに合い
又新しき流れなす
吾等の歴史かがやけり


学びの道を分けゆきて
山懐に深く入り
流れてしかも易らざる
教を吾等身につけん


贄崎にきて沖を見る
かの島山に泳ぎゆき
泳ぎかえせし人ありき
吾等もかくは鍛えなん

“かくは鍛へなむ” への4件の返信

  1. 余りにも三重での痕跡が多いので数年前まで山口誓子は三重の出だとばかり思っていました。
    布引、贄崎と三重の地名が歌われ津高らしいい校歌ですね。
    御在所の頂上にも山口誓子の歌碑がありました。

    23日は梶井基次郎の「檸檬忌」でした。
    この人も三重に縁があり松坂城跡のすぐ近くの姉の家にしばらくいたそうです。
    その長屋が今も保存されているらしく先日夕刊に紹介されて驚いた次第。
    長屋を管理している方が経営している古民家を改造した和食のお店「松澄庵」に時々行くことがあり隣に住んでいたとの事で長屋の佇まいを思い出した次第です。

    今朝の日曜版のタイトルは都道府県名の由来でした。
    三重はヤマトタケルが東国からの帰途この地を訪れた時、足が三重に曲がってしまったように大変疲れたと語った故事によるそうです。
    ちなみに奈良は平たんな土地、草木を踏みならすとあり、愛知はご存知の通り万葉集からの年魚市潟(あゆちがた)です。 
      桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る
    市内には阿由地通りという地名もあります。

    1. 梶井の「城のある町」という短編に「I湾に面した」と三重らしき街が出てきます。城の石垣から眺める景色とあるので、平城である津ではないなと思いましたが、松阪だったんですね。
      「愛知」の由来は初めて知りました。なるほど「アユチ」からなんですね。滋賀に「愛知(えち)川」とあるので何か関係あるのかなんて思ってましたが。

      1. ちなみに滋賀は砂州や低湿地を意味する「スカ」
        石の多い所を意味する「シカ」
        そして古代「さざなみの志賀」と言われていたことからとありました。京都はもちろん「みやこ」です。

        稀勢の里の逆転優勝、素晴らしかったですね。

        1. 「スカ」「シカ」からか、なるほど勉強になります。

          稀勢の里は運に見放された力士かと諦めましたが、あの精神力は素晴らしい。今までのここ一番に弱かった弱点を吹っ飛ばしてくれる優勝でした。怪我が治って、貴ノ花の二の舞にならないように。

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