広重の渚

貝寄風やコンビナートの炎吐き

かつての白砂青松の渚が何キロも沖に引いている。

海岸がどんどん埋められて、その埋め立て地には工業団地が広がり、日夜を問わず発電所の煙突が炎を、製鉄所や石油コンビナートが煙を吐いている。そこで、人の生活圏との間にはクッションとして広い緩衝地帯が設けられ、新幹線が通ったり、高架の高速道路やモノレールが走り、渚はますます人から遠くなった。
なかには、レジャーランド、ビジネスゾーンとして海外含めて多くの人がやってくるエリアやマンション群もあるが、人の生活圏としては実感が薄いかもしれない。
東海道五十三次に描かれた渚のほとんどはコンクリートに固められ、いまや自然のまま残された海岸線というのはどれだけ残っているだろうか。

ボトルメール

貝寄風の瓶の手紙を持ちきたる
貝寄風の届ける瓶の便りかな
貝寄風の足許さらふ砂丘かな
一夜さの貝寄風なせる砂丘かな

「貝寄風」は関東の人には馴染みが薄いかもしれない。

という私すら歳時記で初めて知る季題である。
ホトトギス歳時記によれば「大阪四天王寺の聖霊会(陰暦2月22日)の舞台に立てる筒花は、難波の浦辺に吹き寄せた貝殻で作るというところから、この前後に吹く西風を貝寄(かいよせ)という。」。冬が終わり、春に吹く強い西風と解釈してよいだろう。
舞台の筒花という写真がないかウェブでいろいろ検索したがどうもヒットしない。だから、今でも貝殻で作っているのかどうか、これは実際の聖霊会(今は4月22日)で確かめるしかなさそうである。住吉さん、四天王寺とも今までお参りしたことがないので、今年あたり行ってみようかと思う。