再開

遠足子迎ふる母の立ち話

学年別のバスがつぎつぎ停まる。

停まっては1丁目、2丁目の子をおろしてゆく。
一年生は信貴山の遠足。二年生、三年生も同じくバス遠足らしく奈良交通の貸し切りバスが児童をおろしてゆく。停車位置はあらかじめ決められていたのであろう。父兄がつぎつぎに迎えに出てくる。
コロナ禍以来中止となっていた修学旅行もそうだが、バス遠足も再開したようである。
子供たちにとっては待ちに待った日にちがいない。
父兄もまた久しぶりに顔を合わせた人たちもいるのであろう。会釈に終わらず親しげに話し込む場面もあった。

潮の匂い

おとなりの弁当のぞく遠足子

園児が何十人も、

今日の吟行は大阪・住之江公園だ。
名前からしてなにやらゆかしい。
が、昨年の台風の影響だろうか、大木が被害にあったまままだ完全には復旧しておらず、苑の手入れも十分ではないようだ。こんなところに何となく今の大阪行政の閉塞感をみるような思いである。
そうは言っても句材には事欠くこともなく、園児の遠足、球場の大学対抗戦、それも統合がうわさされる府大、市大だ。外野も草萌えはじめて、やがて緑の絨毯の季節だ。

道路をはさんで住之江ボートレース場。そう聞けば、風にも潮の匂いがしてくるような。奈良に住んで潮の匂いはずいぶん長いことかいでない。

真っ直ぐに育つ

遠足の子らの会釈をもらひけり

一団の行儀のいい学校、そうでもないかなと思う学校。

よく言えば、学校のカラーというものが出るのも遠足、修学旅行である。
集合写真に並ばされるときの時間にもそれが現れる。
さっさと列について、さっさと次のクラスに交替していくのを発見すると、好感がもてる。
待っている列のそばを抜けようと思ったら、列の子らから元気な声を掛けてもらった。
不意のことなので驚いたが、こちらも負けず挨拶を返すことができてほっとするものを感じた。
どこの学校かは知らないが、真っ直ぐに育っている環境に思いをいたすのである。

行儀

ガイドには行儀よろしく遠足子

法隆寺あたりはシーズン。

遠足、修学旅行入り乱れ、次々とバスが乗り込んでくる。
すこぶる行儀のいい学校もあれば、やりたい放題好き放題の学校もあって、生徒たちを眺めていると世の中の縮図のようだなと思ったりする。
平均的には、先生やガイドの話にはわりと耳を傾けているようで捨てたものじゃないと安心もできる。先生にとっては事故があってはいけないし、えらく気の張る行事だと思うが、生徒をガイドに委ねたときなどはどこか緊張がほぐれた様子なども垣間見できる。

ひるがえって、自分たちの頃はどうだったかはよく覚えてはいないが、記憶にあるのは弁当の中身だったり、行き帰りのバスのきれいなガイドさんだったりして、肝心の遠足先のことはまるで覚えていない。