重症

没日して大和に霞む二上山
なかんづく吉野を抱ける遠霞

周囲のすべての山が霞んでいる。

この霞の成分として、吉野の美林から飛んでくる檜花粉がたっぷり含まれているんだろうなあ。
これほど水洟がでるのは初めての経験だ。今日一日でティッシュペーパー一箱分使ったと思えるくらい、何度も何度も鼻をかんでいる。
杉花粉の頃はこれほどひどくはなかったので油断していたのでなんの防護柵も講じてこなかったが、夕方から空気清浄機を引っ張り出してみた、手遅れの気がしないでもないが。
ただ、一時間ばかりたったが、何となくおだやかになってきたような感じなんだが。

青山高原

高原に居並ぶ風車遠霞

今日から夏。

一昨日のことだからもう春も終盤で、その日は奈良盆地も伊勢平野も春霞にけぶって視界はいつもの半分もないくらいだった。伊勢本街道の新緑の峠から長い道のりを下りてきて、かすかながらも風車群が遠くの青山高原の上に見えたとき、ようやく伊勢平野に出たんだと思った。

宇陀の榛原から約2時間、山間ドライブは悪くはなかった。再奥の市場で春の山菜をしこたま手に入れることもできたし。

寝釈迦

葛城の寝釈迦なぞれり秋津島

阿波野青畝の句が好きだ。

青畝は高取町出身で代表作に「葛城の山懐に寝釈迦かな」があるが、この句碑が句会会場の裏手にあるというので取りも直さず拝見となった。この場所に立ってみると金剛、葛城の山が真向かいに見え、なるほど葛城の山容をなぞってみると釈迦の涅槃像のようにも見える。難聴で終生悩んだ青畝にとっては残った感覚の視覚、嗅覚などが作句のより所であったと思うが、まさしくここから見える光景こそ幼少時代から見慣れていた葛城の姿であり、青畝だから詠めた句ではないかと思えるのだった。

この日は、葛城も金剛もシルエットだけしか見えない。昼霞がすべてを覆って神武が国見をしたという春の秋津島が茫洋と広がっている。

今日は東日本大震災から二年、もうというかまだというか。

山人は海地震(なゐ)知らず三一一忌

当地の人に2年前のことを聞いてもあまり切迫感がないような反応が多い。この地が地震に襲われて他国に通じる僅かな道がすべて崩壊してしまったら、救援しようにも数日は入れない状況になるのが見えているのだけど。