満開

パトカーに従いて霞の端めざす

盆地の端四方が霞んでいる。

いい天気が続いて、花粉も黄砂も混じっているかもしれぬが春らしい空気だ。
所用で町を走らせていてある交差点からパトカーの跡を走ることになった。もちろん法定速度を強いられる。
しばらく一緒に走ることになって周りを眺める余裕もでると、あちこちで桜が咲いている。
三室山は秋の紅葉で知られるが、この時期は桜がいい。奈良は今満開を迎えている。

Time flies

青垣のけふも霞んで日が暮れて

毎日夏のような日がつづく。

遠景はすっかり霞んで青垣の山々も輪郭が定かでない日がつづく。
視力0.7程度だからもともと遠くはくっきりと見えないのでとくに困ることはないが、やはり春たけなわだなあと思う日々である。
午前と午後とそれぞれ一つづつの仕事をこなせば一日があっという間に過ぎてゆく。
今日は猫どものタワー組み立てで2時間、葡萄棚修繕で2時間。あとは細々とした庭仕事であっという間に暮春の夕暮となった。
心地いい疲労に今夜もまたぐっすりと寝られそうだ。

土に親しむ

ことごとく青垣霞む亭午かな

盆地全体がかすんで朦朧としている。

5月ころの陽気にまだ馴染めないでいる体には熱がこもってきて、冬服のままでいると汗が噴き出してくる。
今日は夏物野菜の種まきの準備をしようと、まずは苗の用土を調合したり苗床を準備したり。土に親しみ、作物を育てる楽しみは格別で、それだけで心が充満する思いがする。
今年は庭の小さな畑で過ごす時間が増えそうである。

模糊として

国境(くなさか)のみな霞して山ばかり
霞して金剛山(こごせ)葛城山わきまへず

昨日の光景。

晴れれば毎日のように遠くがけぶるように靄がかかる。
山稜の襞もみな靄のなかで、盆地西部にでんとすわる葛城山や金剛山の境界も分からなくなる。
北の方をみれば佐保丘陵、奈良坂など京都に接するあたりも模糊としている。
こうなると冬の間あれほどくっきり見えていた高見山は今はすっかり靄のなかである。

重症

没日して大和に霞む二上山
なかんづく吉野を抱ける遠霞

周囲のすべての山が霞んでいる。

この霞の成分として、吉野の美林から飛んでくる檜花粉がたっぷり含まれているんだろうなあ。
これほど水洟がでるのは初めての経験だ。今日一日でティッシュペーパー一箱分使ったと思えるくらい、何度も何度も鼻をかんでいる。
杉花粉の頃はこれほどひどくはなかったので油断していたのでなんの防護柵も講じてこなかったが、夕方から空気清浄機を引っ張り出してみた、手遅れの気がしないでもないが。
ただ、一時間ばかりたったが、何となくおだやかになってきたような感じなんだが。

春霞

二上は見えて葛城かすむ窓

ここ連日、麻起きると霞がかかっている。

家からは何とか二上山の姿は見えるのだが、その先の葛城、金剛山がはるか霞の中だ。
まことに春霞とはよく言ったもので、雨の日以外で葛城山が見えない日が二日以上続くのは春だけだ。

まほろばの地平

青垣の霞みて大和はるかなる

昨日は4月の気温。

春霞が濃くて、いつも見える山々がかすんで見えない。いつも視野にあるものがないと、大和盆地というのはどこまでも広がる平原のように思えるのだった。