パネルの浮田

金魚田を縫ふことしばしナビのまま

大和郡山の金魚田が集中しているあたり。

グーグルのナビは実に芸が細かくて、地元の人しか通らないような道を実に的確に教えてくれる。車載のナビは大道しかしめさないので、自然に信号の多いルートとなりがちだ。また、盆地は大和川支流が縦横に走っているのでそれをかわすようにあまたの道がある。地図を見ただけでは走りやすい道なのかどうか分からないので、ナビの示すルートは安心して進むことができる。現に勘で走ろうとした道は、路地のように入り組んだ集落に突っ込んでしまって、にっちもさっちもいかなかったことが何回もある。
金魚養殖も昔のような全盛期は過ぎたようで、今日など金魚田に何枚もの発電パネルを浮かべた休み田を発見した。埋め立てるのではコストがかかるので、池に浮かべてしまえという発想はたくましい。
ほどなく見慣れた道に出てナビのお役御免となった。

命を預かる

巣立つ子の託す金魚の余生かな
自立子の金魚の余生託さるる

一匹だけ残った金魚がいた。

夜店で買ってからかれこれ7,8年になるが、体長は10センチ近くにも達し、水槽に窮屈そうだ。
ある年遠くに進学することになって、飼っていた金魚の飼育を頼まれた。
夏は水温が上がるし、なんやかやと管理が大変だったが、その後も何年か生きた。

ノンエリート

今生のさだめは餌の金魚かな
生れしより貴賤定まる金魚かな
魚には貴賎あるらし餌金魚

金魚と聞くといつも「餌金」を思い出す。
大和郡山・金魚資料館にて
いわゆる肉食魚の餌となる金魚である。10匹いくら、100匹いくらで取引される哀れな金魚である。餌にするなら何も金魚でなくてもいいような気がするが、考えてみれば昔から大量に養殖されている数少ない魚だからだろうか。しかも鯉に比べたら高価でないという点もそのわけになりそうである。

僕は昔から、エリートとか、家筋・血筋などを持ち出されるといつも鼻白んだり,妙に反発するところがあって、養殖場へ実際に行ってみたときもそうだった。高級な金魚の生け簀のおかれたブロックとそうではない一般の金魚のブロックが仕切られていたりすると、写真のような餌金たちのほうがよほど愛しく思える質なのだ。
ついでに言わせてもらうと、家柄を顔中、体中につきまとわせている類いの連中は顔をみるのも声を聞くのも我慢ならないクチで、テレビの画面に映ろうものならすぐにチャンネルを切り替えることにしている。ただ、たまに全チャンネルとも同じ映像を流しているときがあり、そういうときは電源を切ることになる。

大和郡山は金魚の産地というので「金魚資料館」なるところまで行ってみた。