法華寺

雛壇の媼の白髪豊かなる

今月の吟行地は光明皇后創建の法華寺

総国分尼寺として建てられ、以来由緒ある門跡尼寺として代々今日に至るのであるが、ちょうどこの時期歴代の門跡が拝領した雛や雛調度の数々が公開されている。ほかにも皇后が千人の垢を流したと伝わる「唐風呂」や、「十一面観音」さん、滝口入道との悲恋のあげく当寺にこもって経をあげたとされる「横笛堂」などで有名なお寺。庭園も椿が咲いているということで句材は限りなくあるのであるが。。。

竹取物語

ものがたりここに発せり竹雛

竹を割って節の間から顔を出した雛もある。

あるいは簀玉(すだま)びなと言って、一本の竹を細かく割いて丸く編んだ雛を隠れ部屋への階段にひっそりと展示してくれる珍しい趣向の家もある。

諸説によると、高取はその昔翁が住んでいた場所で、「竹取」は「タカトリ」とも読み高取山が竹取説話の舞台であるという。真偽のほどはともかく、このような説をちゃっかり地元PRにも用いるしたたかさが町にはあり、町の人たちの意気込みも十分感じ取れるというものだ。

そう言えば通りには青竹踏みを売る店もあり、このあたりには竹林が多いのかもしれん。

土佐街道

信号のながい坂みち古雛

昨日は高取町の「町家のひなめぐり」で吟行会があった。

奈良盆地の南端最奥部、電車で行けば近鉄吉野線で飛鳥の次の駅「壷阪山」で降りると、すぐにかつての高取城城下町を東西に貫く「土佐街道」と呼ばれる町家の家並みが続く。「町家のひなめぐり」とはこの街道に沿って各町家で披露されている古雛を訪ね歩くイベントで、今年で7回目になるそうである。
一方、高取城というのは日本最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられる(Wikipedia)。当時の城郭を再現したイメージ写真をみると、たしかにスケールにおいてもなかなかのものであり、今は城跡しか残されてないがそこを巡って飛鳥へ抜けるハイキングなどファンは多いと聞く。
町並みの名「土佐」のいわれは、何でも6世紀初め都の造築にあたって土佐から連れてこられた使役人夫が帰ることができなくなってこのあたりに居を構えて棲みついたんだとか。何とも古い時代の話で、すぐ隣接する飛鳥が帰化人たちの土地だったという話と合わせて、あとから都に来たものが盆地の中で残った土地をよすがとし、さらに都がふくらんでゆく話というのは実に面白いものだと思う。

掲句だが、駅を降りたあと吉野へ通じるR169を越えるとき歩行者用押しボタンを押して渡るのだが、これが結構長い時間信号が変わらないのだ。しばらく待たされてから、ようやく山城に続くゆるい上り坂の雛巡りが許される。

明日からは高取を句材にしたものをいくつか披露していく予定。

追)浪曲の「壺阪霊験記」で有名な壺阪寺もあります。