迷惑顔

下校児のつんつんなでる小米花

株廻り2メートルくらい。

コンパクトにしなきゃと思いつつ、返り花のように早くから咲き始めたのでそのままとなってしまった。
今が満開。廻りの草がいかにも迷惑顔だ。
あのふわふわと風に靡く花には、子供でなくても、いい大人でもさすってみたくなる。

長閑

雪柳背なにまぶして猫帰る

雪柳が満開だ。

枝垂れた雪柳の影で昼寝でもしていたのだろうか、みぃーちゃんがのっそり顔を出してきた。
背中には散り始めた雪柳の花片が降りかかっている。
ちょっと肌寒い日ではあるが、日がよく当たるので雪柳の下は風も当たらず安心して昼寝できるのだろう。
まずはのどかな日曜日ということだろう。

宵の風情

夜目白く垣になだるる雪柳

雪柳が始まった。

まずは花からということで、枯色がちな宵の庭を明るく灯してくれている。
萩と同じように四方にしなだれるように乱れながら、すこしの風にも枝を揺ゆらしているさまは仲春のほんわかとした宵の風情をましすものである。フェンスを超えるだけの丈は十分にあり、もてあました枝が垣の外にもあふれるばかりである。
今日はあいにく雨模様だが、咲き始めたばかりなので散るまでにもまだまだ時間があって、当分楽しむことができよう。

白い街風

雪柳千手の枝のつむじめく
雪柳白き火焔の盛りなる

句会の帰途に、馬見丘陵経由の道を選んだ。

どこまで開花したのかを確認するためだ。
案の定、開花したばかりという風情で、今日から数日の花冷えを考えるととてもこの週末は期待できない。
静心を失いつつあった開花騒ぎなので、いい具合の花冷えとも言えるだろう。
やはり、花は4月に楽しみたい。

代わりに、アプローチの雪柳の植え込みが見事で、思わず園内に誘い込まれそうになった。

柳腰

バリアフリースロープ挟み雪柳

どういうわけか、庭の雪柳が花をつけたまま年を越した。

春になっても花が枯れるどころか、一段と花の数を増してきて、芽吹きの緑も生き生きとしてきた。
雪柳にとっては、さぞけじめのない冬だったのだろうが、さても姿形に似ず逞しいことだ。
柳ならぬ雪柳の柳腰を思う。

天の磐船

しなやかは強靱に通ず雪柳

梅の名残をと大和民俗公園に行った。

ここは郡山の矢田丘陵麓にある公園で、外周部分が2キロほどある園内には大和各地の特徴を伝える民家を移築したものや、いわゆる「国中(くんなか)」(盆地部分)の稲作、「東山中」といわれる大和高原の茶業、吉野産地の林業の昔を伝える県立民俗博物館があり、なかには昭和30年代頃まで使われていたような農具なども展示されていたので大変懐かしいものがあった。

一方園内の植物はといえば、生憎今にも雨が降りそうな曇り空で写真の出来は今一歩だったが、小彼岸桜はじめいろいろな草木が一斉に芽吹いたり、開花しているのを目にした。近畿の桜前線は特別早いわけでもなさそうだが、それでも今週末には開花するとか。着るものが毎日のように変わったりして、大変めまぐるしくついていくのは大変だけど、生き物に生命をもらえるような気がする恵みの季節だと思える。

ここしばらく、古代のことについて本などを読んでいて、天の磐船で知られる饒速日命(にぎはやのみこと)が三本の矢を放って落ちたところを住まいとせんとした場所があるのでいつか訪ねようと思っていたのだが、実は公園のすぐ近くにあったことを帰宅してから知ったのだった。二の矢が落ちたところに「矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)」があり、その数百メートルしか離れていない南北に一の矢塚、三の矢塚がある。さらには、その三の矢塚のあたりが卑弥呼の宮殿跡だったと郡山市が主張しているのだが、最近の学説ではちょっと分が悪いみたいだ。
矢田坐久志玉比古神社は物部一族ゆかりで、楼門には航空祖神として戦前の戦闘機のものらしいがプロペラが掲げられている珍しい神社だそうで、日を改めてお詣りしてみようと思う。