天の磐船

しなやかは強靱に通ず雪柳

梅の名残をと大和民俗公園に行った。

ここは郡山の矢田丘陵麓にある公園で、外周部分が2キロほどある園内には大和各地の特徴を伝える民家を移築したものや、いわゆる「国中(くんなか)」(盆地部分)の稲作、「東山中」といわれる大和高原の茶業、吉野産地の林業の昔を伝える県立民俗博物館があり、なかには昭和30年代頃まで使われていたような農具なども展示されていたので大変懐かしいものがあった。

一方園内の植物はといえば、生憎今にも雨が降りそうな曇り空で写真の出来は今一歩だったが、小彼岸桜はじめいろいろな草木が一斉に芽吹いたり、開花しているのを目にした。近畿の桜前線は特別早いわけでもなさそうだが、それでも今週末には開花するとか。着るものが毎日のように変わったりして、大変めまぐるしくついていくのは大変だけど、生き物に生命をもらえるような気がする恵みの季節だと思える。

ここしばらく、古代のことについて本などを読んでいて、天の磐船で知られる饒速日命(にぎはやのみこと)が三本の矢を放って落ちたところを住まいとせんとした場所があるのでいつか訪ねようと思っていたのだが、実は公園のすぐ近くにあったことを帰宅してから知ったのだった。二の矢が落ちたところに「矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)」があり、その数百メートルしか離れていない南北に一の矢塚、三の矢塚がある。さらには、その三の矢塚のあたりが卑弥呼の宮殿跡だったと郡山市が主張しているのだが、最近の学説ではちょっと分が悪いみたいだ。
矢田坐久志玉比古神社は物部一族ゆかりで、楼門には航空祖神として戦前の戦闘機のものらしいがプロペラが掲げられている珍しい神社だそうで、日を改めてお詣りしてみようと思う。

“天の磐船” への2件の返信

  1. 今日お彼岸は春を促す柔らかな優しい雨で、怒涛の如く春が押し寄せてきそうな感じです。
    明日は一時的に寒の戻りとか、いったいどうなっているのでしょうか?

    郡山に卑弥呼の宮殿があったとすれば桜井の卑弥呼の墓かもしれないという日本最古の箸墓古墳とはちょっと距離がありすぎるように感じます。
    やはり何かと地元へ誘導したがるのはどこも同じですね。

    奈良県内何処へ出かけても何らかの古えの名残りに出あえ羨ましいです。
    やはり地の利ですね。

    1. 朝晩は冷え込んでも日が強いので、同じ10度でも昼間はかなり暖かく感じますね。

      箸墓古墳が卑弥呼の墓ではないかという説もあり、いや唐子・鍵遺跡あたりがそうではないかという説もあったり、いろいろあるのが夢があっていいですね。

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