五感と空想

雪渓のひたひた痩せる雫かな

日本の氷河というのは僅かに立山連峰に残されているそうである。

近年の研究で分かったそうだが、やはり一般人には馴染みがないだろう。
一方で、「雪渓」となると季語に採用されている通り、是を目当てに山に登る人もいるくらいポピュラーなものだ。
山登りの経験のないものでも、写真や映画.テレビなどの画像は何度も目にしているので、想像で作句するのはそれほど難しくはない。勿論、経験者となれば体の五感で感じる世界があるわけで、それを表現した句となればより深い鑑賞を味わうことができるだろう。

雲の峰いくつ崩れて月の山

雪渓の痩せて木石積み上ぐる

山は、登りが苦手が分あこがれの的だ。

だから、せめて山の番組をテレビで楽しむだけなのだが、とくに深田久弥の名著「日本百名山」を登る衛星放送はビデオにも撮っては時間があるときじっくり楽しませてもらっている。
よくもまあこんな恐いところをゆくもんだというシーンにはハラハラさせられるが、それを乗り越えての山頂ビューなどを見ると山男の気持ちも分かったような気分になるから不思議だ。

夏にも雪が残る月山に一泊したというが、当時の芭蕉一行は今の時代に比べると無防備に近い旅装だったはずで、そんなところにも死を覚悟して巡った旅だと知れてくる。

「登山」は夏の季語。
この夏の山の事故の少なからんことを祈る。