霜の菊廓格子の塞がれて
ならまちの外れにかつて遊廓があったというので寄ってみた。
もちろん、現在では遊女宿の多くが個人の家やアパートに立て替わっていて、なかには昔のままの建物に手を入れて現在も住宅として使われていたりするものもあるのだが、教えられなければそれがかつて遊女宿であったということは分からない。
廓格子というのは遊女の逃亡を防ぐために細かい格子がはめられているのが特徴なのだが、掲句は、通りに面したある部分だけが塗り壁などで塞がれているものがあり、かえってそれが廓格子の跡であり遊女宿であったことを教えるのに十分であったことを詠んだものである。
売られてきた遊女の出身というのは五条や十津川など奈良の奥深い所であったりしたのだろうか、そんな古い昔のことを考えているうちに、そこは早く立ち去るほうがいいよと言う声がするように思えて長居することはできなかった。
なお、格子と言えばいろいろなものがあり、奈良町にも「なら格子」と呼ばれる独特のものがあるのだが、それはまた別の機会に紹介したい。