遊廓跡で

霜の菊廓格子の塞がれて

ならまちの外れにかつて遊廓があったというので寄ってみた。

もちろん、現在では遊女宿の多くが個人の家やアパートに立て替わっていて、なかには昔のままの建物に手を入れて現在も住宅として使われていたりするものもあるのだが、教えられなければそれがかつて遊女宿であったということは分からない。

廓格子というのは遊女の逃亡を防ぐために細かい格子がはめられているのが特徴なのだが、掲句は、通りに面したある部分だけが塗り壁などで塞がれているものがあり、かえってそれが廓格子の跡であり遊女宿であったことを教えるのに十分であったことを詠んだものである。
売られてきた遊女の出身というのは五条や十津川など奈良の奥深い所であったりしたのだろうか、そんな古い昔のことを考えているうちに、そこは早く立ち去るほうがいいよと言う声がするように思えて長居することはできなかった。

なお、格子と言えばいろいろなものがあり、奈良町にも「なら格子」と呼ばれる独特のものがあるのだが、それはまた別の機会に紹介したい。

“遊廓跡で” への2件の返信

  1. ならまちにもそういう場所があるのですか。
    昔はどこの街にもそういった一角があったようですね。
    当地にも趣のあるベンガラ塗壁の建物が料亭として営業を続けていましたが近年閉店になったようです。
    今は老人施設として活用されているそうです。
    この建物、重要建築物に指定されており女優のジュディ・オングが木版画にした作品を残しており日展で受賞しています。

  2. 昔は人が集まるところ、門前町など、伊勢の古市が有名ですね、にはあったようです。
    今回は、奈良町をよく知る人から遊女のそこはかとない石塊の墓があると聞いて古寺、遊郭跡を訪れてみたのですが、そういう陰の部分には気が引かれるものがあります。

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