言葉なく鹿煎餅を売るマスク
奈良公園の風の吹きっさらしで鹿煎餅を売っている。
煎餅を買うのはたいがいが外国人のせいだからかどうか、売り子はおおむね無口である。
へたすると、客の顔もろくに見てないのかもしれない。
そう言えば、概して奈良の人は静かである。ものを売るにも大きな声を張り上げるのをみたことがない。隣県に賑やかな都市があって、それとは好対照をなしている。何をアピールするということもなく、どちらかというとなにかにつけて「待ち」の姿勢なのである。
ただ、奈良らしいところはちゃんとあって、どこかの古都のようなよそ者への警戒心もあらわでなく、来るものは拒まない点であろうか。
急な観光客増も、喜ぶというよりは戸惑っている、というのがいまの奈良なのかもしれない。
それぞれの県民性ってあるのでしょうかね~
三重県人も総じて穏やか、争わない、積極性に欠けるなど良いところも悪いところも併せ持っている。
最近の三重県人は良い意味で誇りを持ち三重をアピールしようとしていて若い人が頼もしい。
また老いた人も自分を含めて三重県に生まれたことを自慢にしている。
しかしだんだん愛知県人よりもアクが強い名古屋人に近づきつつある。
奈良には奈良の良い所、人におもねらない良さなど一杯ありそうですね。
県民性というのは、そこに生きるための知恵が広く長い時間受け継がれてきたことで生まれるものなのかもしれません。
その背景を考えると地理や風土、歴史などが浮かび上がることでしょう。
さしずめ、伊勢は、列島の幹線東海道があり、豊かな平野や海があり、気候もなべて温暖でおまけにお伊勢さんのおかげでサービス業も潤った。そんなところから、皆が十分食べられるだけの豊かな経済があって、諍いもせずに済んだ。ということでしょうか。