解かれずして古暦とはなりにけり
家にいくつカレンダーがあるだろうか。
その昔は、部屋や廊下などあちこちに掛けてあったものだが、最近では日と曜日の文字が大きく見えるカレンダーしか掛かっていないし、またそれだけでも十分である。
いただくカレンダーも昔に比べればずいぶん減ったが、それでもいくつかはとうとう日の目を見ないで一生を終えるものがある。
絵や写真の美しいもの、有名な人の手跡になるもの、いろいろ名作はあろうが、わが家ではカレンダーは予定を書き込むメモでもあるので、各日に余白がたっぷりあるのがいい。猫の姿態が描かれていればなおいい。
またたく間に今年も終わり。正に飛ぶが如しです。
カレンダー、会社の最終日、集まったカレンダーを分け合って持ち帰ったこと思い出します。一度は酔っ払って網棚に忘れひんしゅくを買ったことも。
時代とともに生活小道具も変わっていく典型みたいなものでしょうか。
そうでしたね。終業日、一人何本も抱いて帰って、それでも余ってしまうほどでした。カレンダー業界も様変わりといったところでしょうか。
義理で買った俳句関係のカレンダーですが、封さえ切らず仕舞いでした。今年はもうお付き合いを止めました。
残った一枚のカレンダーが所在無げにヒラヒラ。
2018年のカレンダーも出そろいました。来年こそはシンプルに。
とは言っても病院の予約日やお稽古ごとは欠かせず優先順序を考慮しながら先ずはメモったものを忘れないようにしなくてはね・・・
カレンダーは手帳とちがって家族の共有情報になります。二人だけの暮らしでは、互いの予定を教えてくれるツール。書いておいても忘れることがあるので、相方からチェックが入ってずいぶん助かってます。