後ろめたさ

父巻くや吾が愛用せしマフラーを

突然50年以上前の思い出が甦った。

ある年の暮に帰省したら、少年時代に巻いていた手編みの毛糸を父が見つけて普段用に使っていたのだ。
実はこのマフラーには特別な思い入れがあるのである。
緑を基調とする糸で編まれていたが、あるところから色のトーンが変わっているのである。意匠上の理由ではなく、単に同色の糸が足りなかっただけなのだが、それを巻いて外に出るのは少年にしてみれば気恥ずかしくて長い間タンスに眠っていたのである。
すっかり記憶から遠ざかっていたものが突然目の前に現れると狼狽することがある。それはせっかく真心こめて編んでくれたものをないがしろにした後ろめたさから来ているのだろう。
そのマフラーを入院中にも巻いていた父はそのまま帰らぬ人となった。

“後ろめたさ” への2件の返信

  1. このマフラーはどなたが編んでくださったのでしょう
    少年時代ですから恐らく亡きお母さまなんでしょうね。
    昔はマフラーどころかセーターでさえもありあわせの残り毛糸で編んでいたようですもの。
    マフラーとは違いますが息子の着ていた上着を老いた父親がそのお下がりを着ている、我が家でもよくありました。
    その心境は何となくわかるような気がします。

    でも我が連れ合いは着るもののこだわりが強く自分の選んだもの以外は着ません。
    したがって50年以上も私は連れ合いの下着や靴下でさえも買ったことがありません。

    1. 下着、靴下の類いまですべてご自分でお買いになるのはそれだけおしゃれにこだわりがおありなのでしょうね。
      私はと言うと、娘に買ってもらったフリースなど嬉々として着込んでます。

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