隠沼の涸れて罪なきものの跡
水の乏しい季節。
用水池は涸れきっている。梅雨の雨に期待する盆地ではどこもおおむね同じような状況である。
いざ涸れると意外に底が深いことがわかる。底がむき出しになって泥の上を歩いたものたちの足跡も見える。それだけならいいのだが、環境を汚すようものが放り込まれているのも発見できる。なかでもプラスチック製品はいただけない。
空気汚染に水質汚染、森林破壊など後の世代に大きなつけを残しながら人類が大繁栄しているわけだが、いつまでこの人類至上の地球が存在するだろうか。
大地震、大津波は予測不可能として東電経営陣の無罪二審判決が今日出た。政治も官僚も、経営者もだれも責任を取らない国。そんな状況で既存原発の60年まで運転延長、廃炉技術も確立してない、核廃棄物処理の目途もたってないのに廃炉して新規建替するという。
子世代、孫世代へのつけ回し政治はだれが断ちきるのだろうか。
昔は家の近所にもどぶ川と称するものがありました。
そこへゴミやら不用品を捨てる輩がいたりして汚れ放題悪臭が漂っていた、今では考えられないような時代があった。
また田舎では川の一角がゴミ捨て場になっていたこともある。
環境汚染の最たるもの、原発の廃棄物一体どう処理するつもりなんでしょう・・・
経産省、産業界を敵に回してまで戦う政治勢力はいまの公民政治からは生まれないでしょう。過去の栄光にすがるだけでは産業の優位性もずるずると失うだけでなく、経済意外の分野でも先進国中最下位の指標がふえるばかり。保身に走るばかりの勢力が居坐っては先細りの将来しか見えてきません。若い層にあきらめの機運が蔓延するのも当然でしょう。