古道ゆき背を過ぐ雨の落葉かな
土器の道落葉の雨に打たれけり
一言さん(一言主神社)の銀杏を見たくて葛城古道まで。
境内の紅葉は小規模ながら見事なものだった。たまたま、夕方ニュースで京都の紅葉スポットが報じられたが、文字通り芋を洗うような雑踏でとてもじゃないが静かに紅葉を楽しむことはできない、ひどいものだった。紅葉シーズン真っ盛りにわざわざ大枚をはたいて出かけるところではないと覚った。
あまつさえ、ライトアップの紅葉というのもどうかと思う。紅葉はやはり日の光に透かしたり、照らされたりしているのを楽しむものだと思う。桜とちがって光の当たり具合でいかようにも見えるのを楽しむものなのだ。人工的な光ではねえ。
で、肝心の樹齢約1,200年と言われる御神木の銀杏だが、どういうわけか黄葉にはちと早いようでようやく黄緑色がかってきたところという感じ。
このあと葛城市立歴史博物館でこのまちの歴史を確かめてから帰途についたが、背中を押すような南からの強い風とともに時雨模様となり街路樹の葉がばらばらと散ってゆくのだった。
樹齢1200年ですか、すごいですね。それだけで感動します。
昨夜の秋嵐はものすごかった。桜紅葉なんかは大方散ってしまったかも。花に嵐ならぬ紅葉に嵐だなんて。
垂乳根が見られます。別名「乳銀杏」とよばれ、子授かり、お乳がよく出ると地元で信仰されているようです。
街路樹の色とりどりの落ち葉がいよいよ秋の深まりを感じさせます。
この時期になると思いだします。
子どもの頃(中学生)からベルレーヌの詩が好きでした。
落ち葉(上田 敏 訳)
秋の日のヴィオロンのためいきの
身にしみてひたぶるにうら悲し。
鐘の音に胸ふたぎ色かへて涙ぐむ
過ぎし日のおもひでや。
げにわれはうらぶれてここかしこ
さだめなくとび散らふ落ち葉かな。
今も空で口を突きます。
感傷的でもの思う乙女だったのです・・・
乙女心はいまもなお胸に、でしょうか。物思う秋によく似合う詩ですね。