奈良格子奥に小暗き冬座敷
奈良町を歩いていると「奈良格子の家」として公開されている家に出会った。
通りに面した部分は角を荒く削った太い格子によってめぐらされている。
建物との距離は10センチ以上はあろうか。
これは、かつて春日大社の神鹿が神域のみならず街中も徘徊していたので、建物も鹿も保護するのが目的で考案されたものだそうである。
この日は格子の内側の戸が開かれていて、通りから鰻の寝床のように奥行きのある町家の座敷の奥まで見通せるようになっていた。うす暗い三間くらいの続き間の先にははっきりと坪庭が見通せる。
外人観光客数人が訪れていて、このような古い町家にまで外国人が関心を寄せるようになったのに驚く。有名観光地一辺倒のサイトシーイングから地に着いた文化への関心へ。
インバウンド消費もいいが、文化を通しての日本理解が進むこともまた大歓迎である。
若いころは何でも新しいもの、近代的なものに憧れていました。
年を経るごとに古いものの価値に気付かされることが多くなりました。
外国人にもそういう日本の旧い街並みや路地の良さが見直される傾向にあるのはうれしいことですね。
田舎に住んでいた頃よりも離れてからの方が良さを感じるようになっています。
今日は美濃路の晩秋の紅葉を楽しんできました。
「Fuhiyama, Geisha」から考えると隔世の感がありますね。
外国人に人気でも、当の日本人がその良さに気づけないとしたら不幸なことです。
ハーンなど早くに日本文化を外国に紹介してくれた先人の眼にも学ぶことが多いと思います。
この時期の旅は季節の変わり目ですから、秋の面、冬の面が見られていいですね。
「奈良格子の家」、ネットで見せてもらいました。太い格子、鹿除けですか、なるほど。奥に細長い造りは京町屋と同じ感じでしょうか。
「冬座敷」、いい季語ですね。炬燵に火鉢が一番似合うのでしょうが今は昔ですね。
商店街の店に入っても間口狭くて奥が意外に深いです。
京と同様間口税だったんでしょうね。
障子戸に替わればもう冬座敷でいいでしょうね。
特別、それらしい設えではなかったのですが、この光景に似合う季語として引っ張ってきました。
俳句とはそんなもので、半分創作です。「季語の斡旋」と言って、季語選択は重要な要素ですから。
読者にしてみれば、「冬座敷」と聞いただけでパッとイメージが広がる。そこを突いての句です。
この句は当日評をたくさんいただいた句です。
11月は二歩さんのことがあってから不調だったのですが、やや調子を取り戻してきたかなという感じです。
年末にかけて頑張っていい句をものにしてみたいです。