自力で

霜囲いおのが力を試すなり

サヤエンドウでも蒔いたのだろうか。
霜囲いが風に煽られるたびに、20センチほど伸びた若い芽が藁の間から垣間見える。

人はほんの少し環境を整えるだけである。あとは自力で育ってゆく。
人間も植物も、逞しさとはそういうものだろう。 

“自力で” への6件の返信

  1. 過保護も放任もその兼ね合いが難しいところです。
    我が家の観葉植物は何ひとつ育った試しがありません。
    いったい何が悪いのか、環境が合わないのかな?

    少しずつ楽しみな芽吹きの季節が近づきつつあります。
    いつまでも籠ってはおられません。
          右手(めて)に本 左手(ゆんで)に菓子持て 籠る冬
    ボチボチ卒業してほだかさんを見習います。

  2. 霜囲い、稲藁とかで人手でやるんですよね。やる方も大変ですね。

    待ってました。教育論出てきましたね。おっしゃる通りだと思います。ちょっとだけ、一歩だけ助けてやる、アトは自分でやらせる、、これこそ教育の原点だと思います。

    源氏物語にもいたる所に教育論が出てきます。「源氏物語は教育書である」(とも言われている)。一般的には邪淫の書のイメージですけどね。。。

    1. 源氏物語が教育書というのは初めて聞きました。そういえば常に悲劇がついてまわっていますよね。失敗の法則というか。反面教師としてみることができそうです。
      といっても、地位無し、カネ無し、容姿無しの身には空想ごとと遠吠えしたくなりますが(笑)

  3. 今大阪から帰る新幹線、酔っぱらってますけど時間があるので一言コメント。
    源氏物語が教育書と言うのは二つありまして。。

    一つは公家、武家の子女に和歌・書道・楽器・絵画・香道、、など何故大事なのか身をもって分かってもらうために()

    1. (新幹線で酔っ払っててスマホのタッチ入力がうまくいかなかったので。。。続きです)

      一つは和歌・書道・楽器・絵画・香道、他にも漢詩・舞踊・俗謡・宮中の年中行事など当時の文化芸術が全編に散りばめられており婦女子の教育に役立つものであったということ。

      もう一つは第二十一帖少女の巻。源氏が息子夕霧に厳しく学問をさせるところで、それこそ現代に通じる教育論(何故学問が大事なのか)が展開される、、、ここは教育書というより教育論ですけどね。。。

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